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①昭和という時代が好き

向田邦子の「阿修羅のごとく」をテレビドラマで見たのは思春期の頃だった。

当時はトレンディドラマのブームで前髪をどうにかして立てたロングヘアのW浅野らしいおねえさんとか肩にピンクのトレーナーを垂らしたお兄さんが忙しそうに週末(花金)を満喫、大人たちがいろいろな意味で沸々としているように大人の仲間入り間近の私は感じていた。

私はまだ学生で、家は裕福ではなかったし遊ぶお金も欲しかったので学費を時給のいいバイトに飛びついたり大学に通っている友達から紹介してもらいテニススコートを着て、道端でティッシュを配っては日銭を貯めていた。
年末年始は書き入れ時とばかりに朝から晩まで働いたり、年越しを友達と楽しんだり散々自分の身体を若さに任せてコキ使っていたもんだから正月明けバタリと倒れてしまった。

働きすぎの遊びすぎ、過労だった。

たっぷり眠って、気づいたときは家の客間の布団の中にいて、石油ストーブの上に乗ったヤカンがシュンシュンと音を立てて湯気を上げる音がしていた。その向こう側のリビングで母が編み物をしながらこれから始まるドラマをお茶を淹れながら待っていた。

新春ドラマスペシャル

向田邦子原作のドラマを正月ムードも過ぎ去りそろそろ普段の生活に戻り始めた7日あたりに毎年放送していた。

雑踏の中をバタバタと行き来しながら事をこなすような毎日を送っていた私にとってはいつもは目にもくれないような
ゆったりとした番組だったが、
すーっと体の中に沁みるように入ってくる温もりのようなものを感じながら、
三拍子のピアノで始まるオープニングに心を掴まれた私。
もぞもぞと布団から這い出して母の隣でみかんを手に取り時折くっと込み上げてくる切なさややるせなさに

大人の世界を垣間見る気持ちだった。



凍てつく寒さの冬の夜だったが
家族の心模様を向田さんらしい時の流れに乗せてゆっくりと進む、なんとも言えない空気と毛布のような温もりに今で言う私にとっての「癒やし」が存在していた。

昭和を生きる人の逞しさから見える戦争という悲しみや絶望


戦争の言いようのない悲しみや虚しさを心に秘め、平和になった世の中に感謝と生き残った申し訳無さをも併せ持つ複雑な幸せを昭和の大人たちから感じられ、
子どもなりに強い大人たちに守られた
時代を
悲しくもおかしく、柔らかに演じる役者さんにすっかり夢中になった2時間だった。
以後、向田邦子さんや、同じ時代を生きてきた作家さん、
このドラマのプロデューサーの久世光彦さんの執筆したものを読み耽る学生へと私は変わっていった。今でも読み物はノンフィクションが好きだし、深夜のドキュメンタリー番組のような人間の厚みや体温を感じるものがとても好きだ。


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