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生涯かけて純粋になる

 人生を振り返ってみて「自分を生き切った」と感じられるのは、どんなときだったでしょう?小学校の低学年くらいまでかなぁ、夢中で遊んだころが、それにあたるのではと思います。
 あのころは、日々が新しく、好奇心旺盛で、何の目的もなく、我を忘れて遊戯に没頭していた…。あのころが「人生の華」だったのかも!。
 大人になるにつれて、打算が芽ばえ、損得勘定に走ったり、「自分が、自分が」という「自己顕示欲」が旺盛になってきたり…。動機がだんだんと不純になり、義理を果たすためにしたくないことをしたり、評価を勝ち取るための行動が増えてくるものです。

 さて、最近読んだ本に「リアルファンタジア~2012年以降の世界~」(山川健一著)にこんな記述がありました。不思議研究所の森田健さんの質問「人間は、いったい何のために生きているのだろうか」に対して、著者の山川さんは、ふっと思いつきこう応えました。
 「人間はいかにイノセント(純粋)になるかということのために、全生涯を費やすんだと思う」。
 さらに、次のような例を挙げて補足しています。
---たとえば、子供が絵を描くときに、ものすごくいい絵を描きますよね。3,4歳ころまでは。ところが、これをうまく書こうと思うことによって、どんどんつまらない絵になっていく。
 ピカソやクレーやマティスは、何をしたかというと、子供の線を大人である自分がどうしたら描けるかということに時間を費やしていくわけですよね。(中略)自分が大人になる過程で失った、子供のイノセンスをどう再現するのかということで彼らは努力するわけです。---
 いかがでしょう。ところで、あなたは今どのくらいの時間を純粋な体験、すなわち「したいからする」「好きだからやっている」に費やしているでしょうか?

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