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加齢とともに「待てなくなる」

 「イライラすること」で、近ごろ気になっているは「年を重ねるごとに、待てなくなってきた」ということ。「待たされること」に辛抱たまらなくなってきたのです。誰かの勘違いや遅刻によって、待たされるはめになると、「貴重な時間を奪われた。無駄な時間を過ごしてしまった」とムッとするのですね。
 これに関しては、先日読んだ「暴走老人!~『新』老人は若者よりもキレやすい~」(藤原智美著、文藝春秋)という本に詳しく分析されてあり「加齢とともに、待つことに耐えられなくなる理由」を自覚することができました。
 その理由の一つとして、年を経るごとに「時間が早く過ぎ去る」(50歳の人は、10歳の子の5倍のスピードで時間が流れる)と感じ、時間の貴重さが身に染みてくる。わずかな時間でもムダにはしたくない、そういう焦りが生じる、と述べられている。ですが、私の場合は、それよりも次の理由のほうが比重が大きいと感じます。
 それは、こういうことです。私は自由業だから、決められた勤務時間というものはなく、一般サラリーマンに比べると、自由に使える時間が多くあり、しかも社長だから、自分の都合で時間をコントロールできる立場にある。
 こうした「一見、時間に恵まれている」からこそ、唐突に、他人によって自分の時間が奪われたり、乱されたりすることが、よけいにストレスに感じる。一方、サラリーマンの場合は、通常、社内規則で勤務時間が決められており、自分の時間はすでに会社に管理されている(奪われている)から、「時間を自分の都合で自由にできる」という意識はあまりない。だから、たとえ、他者に時間を奪われても(=待たされるハメになっても)、さほど神経質にはならない、という説明。
 このことがわかり「待つこと、待たされること」がそんなに苦にならなくなりました。老人になる前に、この本に出合えてよかったと思いました。


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