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「遊ぶ」とは天に沿ったあり方

 「私たちは、この世に遊びに来ている」と聞いたら、まじめな方は「なんて不謹慎な!」と思われるかも知れません。「遊ぶ」という言葉は「『あ』に沿う」が語源だそうです。『あ』というのは、宇宙の本質、創造主、神仏の意味(真言宗でも総本尊である大日如来を「ア」という梵字一文字で表します)。いわば天の御心に沿っている行為を「遊ぶ」ということですから、これが本来の「あり方」だと思いません?
 
 「観音経」というお経に「観世音菩薩は、この娑婆(しゃば)世界で遊んでおられる」という一節があります。観音さんが、この世の中でいろんなことをなさっているが、その行為を総称して「遊」という字を選んであてている。それは「遊び」というのは、他に何かのためにしているのではなく、「遊び」自体が目的であるからでしょう。これを喩えると、山登りする人が、そこに山があるから登るのだという、そういう感覚に近いですね。
(参考:「放てば手にみてり」余語翠巌著、地湧社)
 
 どんな大変なことがあっても、寿命が来たら天がお迎えに来てくれるのですから、それまでは遊び心を忘れずに、次々とやってくる出合いと出来事を慈しみながら味わっていきましょう。

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