蒼稀子さんのデビュー作。

蒼稀子さんは、すきな踊り子さんのひとり。
道頓堀劇場に貼られた蒼さんのポスターにひかれ、デビュー日の1回目にみて以来、すきだ。

作品は、デビュー作に、ピザ屋さんの演目、一周年作の3作(のはず)。

なかでも、いまも踊るデビュー作は、つねにあたらしい。
そのときどきの蒼さんの心もようがえがかれるからで、振りや音、ときに自身のすがたをかえ、デビュー作とともに思索する蒼さんを、かざらず告白する。

じぶんのかんじたことで、ただしいかはわからないが、デビュー作は踊り子としてのいまをえがきつづけているようにおもう。

作品には、一貫してコンテンポラリーがながれる。

たとえば、踊り子としてデビューするよろこび、決意にあふれた導入部の華やかなダンスも、腕などの振りはコンテンポラリーな表現にみえる。
音やテンポ、衣装のちがいで、一見して離れているようにみえるが、以前、両国でみた勅使川原三郎の振りをおもいだす。

中盤以降、蒼さんはみずからのからだと感情の奥底へとしずんでいく。
コンテンポラリーな手法での内省だが、その過程をストリップにし、観客へみずからを告白する。

だから、蒼さんのデビュー作は、つねにあたらしい。
コンテンポラリーをもちいることで、デビュー作はつねに内省し、深化する時間と自由をえたとおもう。

その内省は羽化であり、決意であり、あるいは開放であり、いのちのいとなみであり、雪解けであった。

デビュー作は、蒼稀子でありつづける。

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