プロセカ初心者による「いつか、絶望の底から」イベント感想

こんばんは、yuです。今回は「いつか、絶望の底から」イベント感想です。

ニーゴ結成秘話、奏とまふゆがどうやって出会いどうやって共に曲を作ることとなったのか。それぞれの問題に向き合い、絆が深まりつつあるこのタイミングで「25時、ナイトコードで。」の序章を持ってきた今イベントでした。 

1.イベント感想

奏とまふゆ、今でこそ明確な目的がありながらも手探りで答えを見つけようとしている2人が、2年前はどれだけ光の見えない虚無でもがいていたか、絶望していたかを痛いほど思い知らされた。

父の一件で「誰かを救う曲を作り続けなければいけない」過剰な救済意識一種の錯乱状態だった奏、母の優しさというなの押し付け、節々に縛り付けるようなニュアンスが入った言葉。盲目な優しさは人を縛り付け、まさにマリオネットのようにまふゆという人間を殺しかけていたと言っても過言ではない。そして、まふゆ自身もそれに抗うことができないて冷徹な現実、新しい環境に期待したくても中高一貫という場所がそれを不可能にしている。
2人とも、このままでいたらどこかで自殺してしまいそうなくらい精神的、奏に至っては肉体的にもボロボロで、人って悪意があってもなくても人を殺しかねないんだなぁという容赦のなさが恐ろしい。  
何度希望を抱いても尽くその希望はくじかれ、いつしか希望を持つことすらやめてしまった。
自分を殺し、常に相手にとってのいい人、いい娘であろうとしている。
欲しいものは全て与えてくれるだろう恵まれた家庭環境、先生にも好かれる完全な優等生の裏には、規定された道に抗い本当の自分になることを今も望み続ける少女がいて……

奏は「雪という人物」、まふゆは自分の心を揺さぶる「K」という人物にお互いに「誰かを救う曲を作れる希望」「自分を救う曲を作ってくれる希望」を抱いて共に曲作りを始めた。
現実を遮断するインターネットの空間だからこそ、自分を縛り付ける縛りも、枷も全て取っ払って関われる唯一無二の関係が生まれた。
そう考えると、Kへアクションしたまふゆの行動は初めて規定された現実に抗った瞬間でもあったんだなと思いますね。

序章を読むことで1番初めのユニットストーリーが更に更に重いものとなりましたね。
2年もの間共に曲を作り続け、救いの希望を内に秘めてきたまふゆが初めて諦めた瞬間、最後の最後で本人に向かって「助けてよ!!」と直接救世を求めた叫びでもあったあのストーリーだったのだなと。

ニーゴのストーリーの根底には常に「秘めた苦しさ」が存在するなぁと今回改めて感じました。
言えない苦しさ、癒えない痛みはすぐにはどうすることもできない。
言葉だけでは表現できない、したくない感情を音楽、歌詞に乗せて叫び続ける。
今にも息が詰まってしまいそうな苦しい現実を生き延びる、破壊したいという『武器』としての性質を秘めた音楽がニーゴの音楽にはあるんだよなと感じましたね。

そして今回、初めてニゴミクとニゴルカが現実に来ましたね。(僕は毎回「ニゴルカは愉悦だ!怖い!」と思ってます)
ただ、ニーゴのセカイはまふゆの想いが形になったものなので、まふゆの想いの変化が反映されますよね(間違ってたらごめんなさい)
なので、今回2人が現実に出てきたのはまふゆの変化、ニーゴの変化そのものを現しているんだなと思い嬉しくなりました。

そんなこんなで原点を思い返した奏は、また誰かを救う曲を作り続ける決意を改めて固める。
その時の表情が、絶望から出る光すら見えなかった2年前と違い、柔らかくて優しくて暖かった。
焦る必要はない、今は1人じゃないと分かってるからこそ出たんじゃないかな、と思います。

まだ絶望が完全に消えた訳じゃない。けれど、絶望から出る道筋は見えてる、そんな希望を見てるこちらにも抱かせてくれるような、タイトルの不穏さとは裏腹に前を向かせてくれるような素晴らしいストーリーでした。


2.おわりに

今回もありがとうございました。
不定期でイベントをTwitterのスペースで読んでます、お時間合う方ぜひ遊びにきてください。



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