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ミュージカル「この世界の片隅に」

演劇「この世界の片隅に」を観る。新潟へ移住してから数年ぶりの観劇。友人が良い席のチケットを取ってくれたので、小学校高学年になった娘と長野まで劇を観に行く。

私はこうの史代の漫画をほぼ全て読んでいる。そして「夕凪の街 桜の国」(2004年10月、双葉社刊)と、その後に描かれた「この世界の片隅に」(上中下巻、2008年2月~2009年4月、双葉社刊)は彼女の代表作であり、傑作であることを知っている。何度も読み返し涙しては、また数年後に読み返すという十数年を経ている。

さて、演劇はどうであったか。いやぁ、質の高い演劇であった。「悲劇の美しさ」に昇華されている。漫画にある一見煩瑣な、でもこの作品の基調をなしているすずさんの「情けない」エピソードを脚本家はよく理解し、一つの物語に再構成している。そして一度まとめた話の中から主なエピソードを脚色して劇化し、一つの悲劇に再構成している。台詞の細かなところは原作と変わっているが、戦争によって人生を変えられてしまう市井の人々の悲劇を舞台上に質高く、美しいといってよいほどに構成しなおして提示している。

また主演の役者が良かった。小柄で一見幼く見える彼女が三時間にわたる演劇で一つの脚本を背負い、少しずつ担ぎ上げていく。原作のすずさんは「北条家」を背負って立ってしまうほど、戦時下の日本社会に飼い慣らされない訳だが――そんな「ほんとうのこと」を見抜くすずさんにこそ、この漫画作品の反骨が現れている――この劇で主演俳優は北条家さえ背負って立ってしまう勢いであり、決して「この世界の片隅に」でない感がしてしまうのであって、原作を愛する私はここに違和感を覚える訳だが、まぁ、それでも空襲と原爆の悲惨さが描かれるのであれば、差し引きプラスくらいにはなるだろう。この辺から脚本は原作を離れ、膨らんでいく。

公演はこれからも続くというから、これ以上書くのは止めておこうと思う。既に思春期に入った娘が、劇場に向かう車の中では頻りに好きになった男の子の話を聞かせてくれたのだが、帰りの車の中では「よかったね、すごかったね」と劇に感動し、思い出しては嘆息していた。休憩挟んで三時間余りの快作。本土空襲と原爆投下に対するすずさん個人の恨みが、戦争を行う国家への痛烈な批判に普遍化するというこうの史代の意図は脚本家にしっかりと受け継がれ表現されていた。


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