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なにやらゆかし

山路きて 何やらゆかし すみれ草

転職の時に、ご栄転おめでとうと、祖母がくれた芭蕉の句。


なんだか、Facebookには再登録したものの、なんとなく使いにくくています。アピールせにゃあ、いかんような感じがして、ニガテなのでした。


春から、大和町に住み始めて、あまりの山深さと、途方もない夏休み感のある風景に呆気に取られ続けている。角田の柔らかく吹く田んぼの風とはまた違って、岩沼の少し工場の匂いのする夕方の空気とも違って、変てこな山の風景から、ちょっときりっと澄んだような風が吹く。ここもまた、わたしは気に入っている。


去年は、教員だったわけだけど、今は生活支援の仕事をしている。

どちらも、現実を支える大切な仕事だと思う。今、グループホームで一緒にメンバーと一緒に暮らしていて、おもしろい。おもしろい、というか、たいへん支えてもらっていると思う。もう、普通になってきた。


わたしは、理解するのが遅いので、矢継ぎ早に生きるのはちょっと難しい。頭だけでも、なかなかわからない。

今、生活をともにしているのは、ベストなのかはわからないけど、腑に落ちる選択だったと思う。

「距離」というのが、わたしの中でなんともしようのないものだった。

障害があること。わたしは幼なじみが自閉症だったから、それが生活の一部だった。それだけのことだった。

障害がある/ないにかかわらず、みんなから、何といろんな感性をもらったことだろう。

でも、思えば、精神障害がある人のことを怖がっていたかもしれない。

今、やっと、あんまり怖くない。

「ここに大人はいないよ」なんて、表情なしに、かっこいい言葉を話す人もいれば、短期記憶が保持されにくいのを、「夢のような記憶」と表現している人もいて、わたしはよくよく感銘を受けている。


そんなこんなで、ずっと会いたかったような人たちと出会えている。出会いというのは、ちょっとの勇気があってこそ楽しく、最高なのだった。


どうなるかわからない世の中だけど、
ここで何を感じたとか、誰と話してこう思ったとか、 確認するのを積み重ねていたい。自分の中にも、どろっとしたものがあって、それに向き合う日々である。他の人のそれも、いいとか悪いとかじゃない。ただ、わたしは、味わいのないものは、あまり好きではないのだ。


真夏の暑さは厳しいけれど、夕風には何となく秋の訪れを感じる。 

でも、マスクを取るとまだ夏の匂いがした。


何やらゆかし、それだけで歩んでいる。



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