雙峰祭映像部門って何やってたの?

この記事はmast20アドベントカレンダーの8日目の物になります。ほかにも面白い記事がたくさんあるので、下のリンクから見ていって下さい。

https://adventar.org/calendars/6608

はじめましての方ははじめまして。情報学群情報メディア創成学類二年のきりと申します。

今年、私は雙峰祭実行委員会情報メディアシステム局映像部門の人間として、生放送関連の様々な業務をしました。今回は、その仕事の一部と流れを書いてみたいなと思っております。

きり君忙しそうだったけど結局何やってたん?」とか思っている同級生や後輩、「雙峰祭実行委員ってどんな感じなんだろ」っていう新入生の参考になればいいなと思っています。


1.今年度映像部門の立ち上げ

2020年末。雙峰祭2020が無事中止となり、執行代(雙峰祭実行委員で主に責任もって仕事をする世代のこと。ほかの大学ではどうなのか知らないけど筑波大学は2年)の引継ぎ、および、部門配属と役職決めが行われました。

部門配属って何のこと?って言いますと、まず、情報メディアシステム局というのは、・ネットワーク部門映像部門 という二つに分かれていまして、そのうちネットワーク部門は主にサイト作ったりバックグラウンドのシステムを作ったりを担当する。映像部門は映像を作ったり生配信のシステム構築から撮影、コンテンツ制作まで担当する。と、別れています。一年生の間は、どっちに所属するでもなく、それぞれやりたい方(両方も可)のチュートリアルというか課題をこなしているんですが、執行代になるにあたってこれをはっきりさせようというのが部門配属です。

私はもともと映像制作がやりたくて、さらにそっちに経験もあったものですから、映像部門を選んだわけです。そして、去年の局長が「映像志望の子は廊下側に集まってー。ネ部門(ネットワーク部門のこと)は窓側ねー」と号令を聴いて廊下側に移動しました。この代のjsys(情報メディアシステム局のこと)は20人くらいいて、まぁ大体半々くらいになるのかなーと思っていたんです。この時までは


ところが、実際に廊下側にいたのは一人でした。自分含めて二人。


うせやろ......


実際にはその日欠席していた人に映像志望が二人いて、計四人だったんですが、さすがにこの日は役職決めも何もできんという事でネットワーク部門が役職決めをしているなか二人でだべる羽目になったのをよく覚えています。

さて日を改めまして、四人が集まる機会に役職決めをしようという話になりました。

映像部門には当時、


部門長(予算くんだり局長と一緒にほかの局と連絡とるよ) 
制作担当長(映像作るところのトップ) 
企画担当長(生放送企画を運営するところのトップ)

の三つの職があったのですが、対して部門の人数は四人。このままだと長三人に下っ端一人の逆三角形組織が爆誕するということで、ひとつ・機材担当長というのを生やしまして、全員長という異様な組織にすることで解決しました。(解決したのか?)僕は企画担当長(のちに生放送担当長に名前が変わります。わかりやすくなったね!)に就任しました。ただ四人しかいないので、全員で仕事をしないと回らないから、基本的にどの仕事もしました。仕方ない。


さて、こうして年明けごろまでにはすべて役職が決まりまして、いよいよ仕事がスタート......することはなく、まずはほかの部門から仕事が降ってきたり取ってきたりするところから始まります。

これは仕事として無茶すぎる。これはやらないとまずい。これは協力できるかな……という仕分け作業ですね。

まぁここでやってた仕分け作業は全てお釈迦になるわけですが、そんなこと知る由もありません。

そしていよいよ動画制作の仕事も降ってきました。

2.初仕事(最初にして最後の共同制作動画)

さて、映像部門の最初のお仕事として降ってきたのは「新歓動画」。つまり実行委員会の仕事を紹介したり、「そもそも雙峰祭ってなに?」って言うのを説明する動画です。

このお仕事を受けるうえで、「共同制作を覚えよう!」というのを一つテーマにしていました。これから映像部門として仕事していく時に、動画制作仕事の一極化を避けて、分担することを覚えよう。長い動画とか作ることになるかもしれないからね。という事です。

具体的に、この動画では、

・シナリオ担当(制作担当長)
・OP担当(僕)
・本編動画編集(機材担当長)
・ナレーション担当(当時はまだ映像部門で無かった人が担当してくれた)

という三職に分かれて仕事をしました。(作った動画は権利的に載せられないので、この先も一切ありません。この記事結構ぎりぎりをせめているので…)

この時の制作も割とぎりぎりになった記憶があります。というのも

シナリオ担当はまず他から降ってきた「伝えなければならない内容」をすべて拾ってシナリオを書かなければならない。
本編動画編集担当はシナリオ担当だけではカバーしきれない「どこを強調しなければならないのか」「どうやって強調しようか」を考えないといけない。
OP担当は「雙峰祭実行委員会の魅力が伝わるOPってなんだよ…」を一から考えないといけない。
ナレーション担当は上記の理由で遅れに遅れたぎりぎりスケジュールで声を撮らないといけない

といった様子で、各々個人製作ではあまり意識しなくてよかったことを考える必要があり、まったく捗らなかったのです。まぁ間に合ったからヨシ!!

これ以降はこの分担を基本にして作業が進む…ことはありませんでした
そう、すべてをひっくり返す事件が発生するのです…。

3.ハルマゲドン(学祭のオンライン化)


ここまでにやってきた準備はほとんど対面開催前提のもの。つまり全く役に立たない。

しかもオンライン学祭ともなると、サイトと生放送、配信が主役となってしまいます。

これがかなりまずい
映像部門は最初四人で少ないねーって話をしましたが、ここまでは「まぁゆうてなんとかなるやろ」感がありました。というのも対面学祭において生放送とか行う映像部門の仕事って正直端役で、ある程度適当でも許されてたんですが…オンライン学祭ともなると、僕らは主役級になってしまいます。主役級の部門に四人しかいないのは確実にパンクします。

この決定以降、私たち映像部門が何をやったのかというと、仕事の量を減らすことをしました。
このころちょうど映像部門の事実上交渉役を担っていたのは自分だったんですが、ミーティングを開くたびに行っていたことは「映像部門は人手不足」「仕事を受けたいがキャパ無いので無理」「一部仕事をそちらにも協力して頂きたい」の逃げの一手です。

具体例を一つ上げると、当初は各サークルのzoomなどを用いた配信も僕らが管理する…みたいな話もあったんですが、それは無理という事で、ほかの人たちにお任せする事にしました。

映像部門の腕は申し訳ないが8本しかないんや…

ここからしばらくの間はずっと交渉事です。映像部門の仕事の八割くらいは交渉だった気がします。

ここから直前期までは、機材担当はこの間もシステム構築とか必要な機材の注文とかしたりしていて、部門長も予算書いたり申請したり交渉したりといった個人プレイが増えていき、僕も僕でコンテンツ投稿システムの説明動画を一人で受注して一人で完成させるなど、「そこにある仕事を気付いた人がやる」みたいな状況に陥っていきます。分担する前に片してしまわないとパンクしてしまうから仕方ない……

4.本番期(CPUのファンが飛んだ話)

実は、今年の雙峰祭、オンラインであるというだけでなく、会場も違いました。
雙峰祭唯一の、公式で生中継企画であった後夜祭。例年は大学会館で行っていたのですが、今年はつくば国際会議場という外部施設で開催しました。
かこの放送ノウハウのほとんどがダメになった瞬間です。

リハーサルも一度しかできませんし、施設の勝手も分からない。別の場所で機材の確認をすることも難しい中で機材担当は大変だったと思います。(僕も一応放送周りを勉強してきて、本番環境について学んだり構築の手伝いをしたんですが、ゼロから作るのは全く別の話です)

この直前期になっても多くの交渉事は無くなりません。むしろ増えました。
そんな中でオンラインステージで届いた各企画の動画をまとめたり、TT案を編集したり、放送計画を立てたり、一年生の今年の課題として出したキャンパス紹介動画(ふがいない僕ら二年生のせいでだいぶ振り回してしまった)を集めて番組を作ったり、時間調整のための動画を作ったり、企業様から頂いたCMを確認したり、当日の行動計画を作ったりと大忙しです。

そんなこんなで本番当日を迎えるわけです。

オンラインステージを配信するためのパソコンは、前日そこそこ負荷のかかる作業に使ってみたり、ベンチマークテストをしたりと動作確認済。
YouTubeライブの接続も大丈夫。という事で配信開始

「「「ヨシ!!」」」

したその数分後の事です。
突然配信用のデスクトップパソコンが落ちます。

配信用の詰所の空気は一気に氷点下になります。
まて…あわてるな…まずはパソコンを再起動…できない!?

その後に鳴り響くのは「ビー」というおよそパソコンから聴かないブザー音。画面に出てきたのは…

「CPU OVER HEAT」

Oh…そんな…

諦めて放送開始を一時間遅らせ、僕のノーパソから配信を再開しました。これが例の放送中断の顛末です。

CPUが熱暴走した原因はCPUファンが停止していたことで、最終的には100度近くまで行っていたようです。
とりあえず、CPUファンの電源を水冷ポンプ用の電源に差し替えたら無事回りだしまして、BIOSで原因を確認したところ、どうもCPUファンの電源供給方式をマザーボードが誤認していたことが原因のようです。前日までは何事も無かったのに……


5.終わりに

後夜祭の話もしたかったんですが……コンプラ的にどこまで書いていいのか分からなかったのでここでおしまいにします。
雙峰祭がオンラインになったときは、はっきり言ってモチベを失いましたし、途中いろいろコロナ君に振り回されて大変だったんですが、そんな中で最後まで頑張れたのは、ひとえにほかの実委人たちと支え合えたからです。
今年の雙峰祭も中止となれば、ノウハウを持っている人が筑波大学には4年生しかいない…という事態になり、下手すると二度と雙峰祭が開けなくなるという危機感も尻を叩いてくれたかもしれません。
来年の雙峰祭がどうなるかはわかりませんが…願わくば、また対面で開催され、僕も参加者としてたのみたいものです。

ききり


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