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『夢にも見ないはくじょうもの』解説兼備忘録

 天界より愛を込めて。こんにちは。きらすけです。
 今回は僕の新作の二次創作漫画『夢にも見ないはくじょうもの』の解説兼自分用備忘録をやっていきたいと思います。よろしくお願いします。
 まず今回作った漫画について基本情報を述べますと、FGO二次創作ちょい長め、ロマ+ぐだ〜カルデアの仲間たちを添えて〜という感じです。FGO1部終局特異点の決定的ネタバレと2部4章までの軽微なネタバレを含みますのでご注意ください。あと全体的に暗いです。 以上を踏まえて大丈夫!という方はこちらをご覧ください。

【ロマ+ぐだ】夢にも見ないはくじょうもの

 では、今回の漫画についての解説なんかをやっていこうと思います。 とりあえず最初に何としてでもこれだけは言っておきたかったやつです。 この曲を聞け!!!!!!!!!!


お聞きになられました?というわけで今回の漫画のイメージソングは椎名もたさんの「夢でも逢えない人がいる」です。最悪僕の漫画のことは全部忘れていいのでこの曲だけは覚えておいてください。いい曲です。

はじめに

 まず最初になんでこんなことをしたのかということを言っておきますと、タイトルにもある通り自分用の備忘録を兼ねてです。キャンバスサイズとか色の設定とか使ってて便利だった機能とかちゃんと書いとかないと忘れるので…ついでに絵を描こうと思ってる人の参考になってくれれば、ということも目指しております。 

加えて、漫画に色々と描ききれなかったこと、それからここの小ネタ気づいて欲しいんだ!!!!という部分を伝えたいというのもあります。仕込んだネタに誰も気づかないということは分かっているので…もう自分から見せびらかしていこうというわけなのです。

基本情報・改

 というわけで基本情報・改です。絵を描かない人はナンモワカランだと思うので飛ばしてください。
使用したツール(下描き)
Campusの無地ルーズリーフ(今回の反省として結構裏が透けて見えるので片側だけに描けばよかった)
その辺のシャーペン 
コピックマルチライナー(0.3mmで書き込み、0.5mmで主線、共に黒)
商品名がわからない筆ペンタイプの絵を描くペン(東急ハンズでかったので東急ハンズにあるかもしれません)
 枠線は普通の定規 
使用したツール(仕上げ)
メディバンペイント(無料版)
 iPad
 特に高くもないその辺のタッチペン

キャンバスサイズ 2508×3541 px(B5)
 解像度300dpi
出力ファイル形式 JPEG
作業期間 約1年半

作業の流れ
セリフ・脚本構成(スマホのメモ)→アナログでネームと下描き(1ページごとに)→アナログでペン入れ→スマホで写真を撮ってiPadにairdrop→メディバンに取り込んでレイヤーフィルタで彩度0、明度160前後まで上げる→レイヤーフィルタの線画抽出で線画出す(ハイライト100、中間値1.6前後、シャドーいじらず)→レイヤーを線画レイヤーの下に1枚追加して自動選択・バケツ塗りで下塗り→下塗りレイヤーの上に乗算レイヤーを追加、水彩ペンで影→その他特殊効果などを描き込む→セリフを入れる→書き出し→全部終わったらミスのチェック、修正 
作業の流れ(表紙) 今回はグリザイユ画法 
アナログでラフ→メディバンに取り込んでGペンで下描きとタイトルの位置調整→Gペンで清書(人物レイヤーと背景レイヤー、顔レイヤーは分けました)→自動選択・バケツ塗りでグレーの下塗り(人物、背景)→乗算レイヤーを追加して水彩ペンでグレーの影と描き込み(人物、背景、全体)→乗算レイヤーを追加して油彩で全体の影の調整→オーバーレイレイヤーで色塗り(人物、背景)→全体の色合い調整


ラフ
下描き


グレースケール(令呪描きこみ前)



それでは、内容の解説に入っていきます。この後に書かれることは完全に一から百まですべてが僕の妄想とその妄想の解説であり、実在の人物・団体・出来事・特に公式とは何の関係もないです。どうしても話の都合上自分の解釈を一つ一つ自分の解釈であると弁明しながら話すことが出来ないので、まとめておことわりしておきます。

今回のテーマの話

 今回のテーマというか根底にあるものは「忘却と弔いの両立」というものです。 テーマに関してはもうタイトルが全てです。忘れることは、夢に見ないことははくじょうなことだろうかという話。
もともと他の方のドクター追悼漫画を読んでいてかなり「夢で会う」パターンが多くて、彼を夢に見ることが哀しみの証左になるのなら、夢に見ない人はどうなのか、と…忘れることははくじょうか。はくじょうなのは悪いことか。そんなはずはないのです。誰かが貴方のために死んでしまったとして、一生をその人のために殉ずることは最もおろかなことであるはずです。それではだれも幸せにならない。
でもそれはそれとして、その人の犠牲によって繋がれた自分の生を果たして本当に「楽しんで」いいものかどうか。もちろんその人は自分を苦しめたくて自分の生をつないだわけではないことは分かっていても、誰かの犠牲の上に明らかに立ってしまった自分の生は何か価値あるもの、その人の死に価値を与えるものでなければいけない、と思ってしまう。自分は苦しまなくてはいけないと思ってしまう。
そういう感情に対してどうやって折り合いをつけていくかという話を描こう(というか描かなくては自分の中で整理がつかないだろう)と考えたのが一番最初でした。
忘れていくこと、言い換えれば彼がいなくなっても自分の人生が続いていくこととどうやって向き合うか、という物語です。 最後のシーンのセリフにもあるようにこれは「自己満足」で「言い訳」の話でもあります。よくよく見ると単に事実に対する受け止め方が変わっただけで何か劇的な変化があったわけでもないし。気づきを得て、ちょっと考え方が変わったよ、ということを長々75ページにしたものです。

 さて本編。全体に関わる話→順番に小ネタ解説 って感じで行きます。現代文の授業みたいになると思います。あちこちに小ネタを散りばめすぎて西洋絵画の趣すら出てきているので。

「夢にも見ない」とは何だったのか

まずここに一番気づいてほしいよ・ポイント。表紙とラスト1枚でぐだを囲む花は同じ花です。単に同じ種類、同じ見た目と言うだけではなく同じである意味、横たわるぐだを取り囲んでいる意味というのがあります。この花どこか見覚えありません?具体的には高難易度とかでよく見かけません?
 答えを言ってしまうとこの花はマーリンの花です。お手元のスマホでバトルグラフィックを見ていただくと足元にぽこぽこ咲いてる花です。頑張って見ながら描きました。
この花がぐだの周りにある、つまりどうやら彼が何か夢に干渉している。表紙から数えて11ページ目の「マシュがドーナツ食べ放題にチャレンジする夢、お気に召さないかな?」のセリフも"そういうこと"です。何ものぞきやってた訳じゃないんです。もっとタチ悪いことしてますけど。 
ではなぜ彼がぐだの夢に干渉したのか。その干渉の内容とはなにか。一つ目のヒントは後ろから四ページ目、ぐだが饅頭のことで怒ってるページと後ろから二ページ目の「おやすみ、良い夢を」のセリフです。
四ページ目の下の方に何か謎のお目目がありますね。先ほどバトルグラフィックをご覧になったスマホで視線をちょっと左にずらしていただくと(人によりますが)ヤツの最終再臨イラストが目に入るかと思います。ええ。ヤツの目ですよ。(描いてるときは花も目も誰か気づくだろ~~!と思ってましたが、今考えれば絶対そんなことない)直前の「グランドクソ夢魔に言いつけとくから」のセリフで「なんか呼ばれてるな」とその辺の顛末を千里眼で見た、ということになります。あとここは非常にこまか~~~いネタなのですが、目のハイライトは上のコマでの位置関係に対応してて、彼の眼にはぐだの方がきらめいて見えていることがわかります。わかんなくてもいいです。
その時に聞いた「おやすみ、良い夢を」というささやかな願いを彼は叶えてあげようとした。良い夢とは何か、たとえぐだの望みがロマンと夢で会うことでも、それは「良い夢」にはなりえないのだと彼は解釈した。だから心を揺さぶってしまわないような、毒にも薬にもならない夢ばかりを見るようにした。これが「夢にも見ない」の真相の一部です。やっぱりお前のせいかシスベシフォーウ。最後のセリフは当時のロマン→ぐだ、ぐだ→ロマンという解釈もできますし、現在のマーリン→ぐだという解釈もできます。その辺はお任せします。
文字通りの人でなしで昆虫のような思考しか持ちえない彼にはぐだの苦しみに共感したり、一緒に考えてあげたりすることは出来ない。ましてや導いてやることなんかできるわけがない。だから彼が作中でやったのはぐだが彼女自身の心を捻じ曲げてしまわないようにちょっと修正することだけです。それも導くことなのではないか、ということはさておき…。なのでこの物語は中心こそロマ+ぐだとはいえ、本当はマーリン→→→→→→→→→ぐだ→→→→→→→→ロマンみたいなクソデカ・一方通行・感情の話なのでした。出てくる登場人物同士もみんな互いにクソデカ感情は抱いていますが、それはあくまで一方通行のものであり、恋やCPのようなものではないというつもりです。
さて上で「真相の一部」と言いましたが、では残りは何なのでしょうか。いろいろ作者側の意図を解説しようかと思ったのですが…ええ。はい。やめました。やめたのか。やめました。一つは解釈の余地があったほうがいいよね、ということ、一つは実は自分もよくわからんということです。というわけで「夢にも見ない」の真相についてはこの辺にしておきます。

タイトルについて

次はタイトルについてのちょっとした話。『夢にも見ないはくじょうもの』の英語タイトルとして『The nice dream without you』を付けました。日本語にすると『貴方のいない素敵な夢』になります。いやなるかどうかはわかりません。一応二つくらいの翻訳サイトで確認はしましたけど。たぶんなります。
元々この二つのタイトルどっちを付けるか迷っていたのですが、『あなたのいない…』は英語でもそれなりにニュアンスが伝わりやすいのでこっちが英題、もう片方が邦題になりました。邦題と英題の意味に若干の違いを持たせるとオシャレな感じしません?しない?そんなー。タイトルについては以上です。さっきと解説の厚みがまるで違うな。

ではページ順の解説に。
実はアナログで下描きをしているとき、夢の中のシーンはコマ枠をフリーハンドで、現実でのシーンは定規を使って引いていたんですけど、取り込むときにすべては無に帰しました。一応まあ、分からなくはないかな…

本編〜序〜

五ページ目でなんかいろいろ書いてある手帳がありますが、これはちゃんと当時の日付とイベント開催日を調べて描いたやつです。いやーえらい。ほめてあげたい。23~26ページの「〇〇こめ」とその下のなんかイベントやってんなという三コマも全部調べて、2017年1月1日から日数を数えて描きました。いやーえらい。
七ページ目のぐだ子の服は言わずと知れたトロピカルサマー、マシュの服はAnimeJapan2017描き下ろしの私服です。後輩カワイイヤッター!!

本編〜マーリン編〜

10ページから21ページまでのマーリンパートではマーリンの表情にめちゃくちゃ気を使って描きました。前述のようにマーリンは文字通りの人でなしであるはずなので、表情や手の動きも機械的に。感情があるように見えるけれど同情はない。相手のことを考えることは出来るがそれは共感ではない。そういう感じで描きました。13ページの「そうか。キミの痛みは…」のコマの顔もちょっと冷たい顔してます。一方で21ページではものすっごく人間らしい顔にしています。さすがのグランドクソ野郎も彼女のことになれば多少は自分自身の感情を見せるだろうと思ったので。あと21ページでアルトリアが立っている向こうの景色はイギリス湖水地方の風景を参考にしました。
15ページからの夢は実際に僕が見たことのある夢を参考にしています。ちょっと伝わりづらいかな、とは思ったのですが…やっと自分の望みがかなって、ハッピーエンドを迎えて、けれどその中心にいるのは自分ではなく、自分はそこで共に笑うことは出来ないのだという悲しみ。あるいは自分など必要ではなかったという恐怖。望んだ夢を選り好みしてしまったショック。夢で会えればいいと、彼が生きていてくれさえすればそれでいいはずなのに、ほんとうはそうではなかったという自分の醜さ。そういうわりとぐちゃっとした感情が渦巻いてるシーンです。嫌なとこやんなあ。
あとこの夢のゲーム画面っぽいシーンはめちゃくちゃ細かく気を使って描きました。フォントまでそろえたんですよ!!選択肢のフォント!!スキップ!!
この夢を果たしてグランドクソ野郎本人が1から100まで仕組んだのか、という部分ですが、実は最後の方はぐだ自身が作ってしまったもの、というつもりです。望んだ夢を見させ、それが望まないものに変わってしまう、という部分まではマーリンの仕込みでしたが、こういう変わり方をしたのは彼女の無意識や心のあり方のためであるというつもり。でもそういう記述はどこにも無いのであくまで「つもり」です。

本編〜モノローグ編〜

23ページからのイベント振り返りコーナーは色んなサーヴァントが描けて楽しかったです。バニヤンちゃんがお気に入り。あと24ページの上の謎の3コマは復刻イベント(もしくは昔の幕間)あるある、「おるやんお前」現象です。僕らの界隈では「未回収のロマニ」と呼んでいます。嘘です。
23ページのモノローグは多分終局からずっと彼女がどっかに抱いている気持ちなんだと思います。可愛い後輩も死んでしまって、ドクターも消えてしまって、倒すべき敵を倒して、そしたらもう、死ぬには最適のタイミングじゃあないですか?幸いにも足元は崩れていって、もう僅かにも希望は残されてない。ならもう、守りたいものは何も無いこの世界に未練なんか無いじゃないか。そういう思いが「ちぇっ、あと少しだったのにな…」にはこもっていたんじゃないか。自分が守りたかった世界とは何だったのか、それはやっぱり、外ではなく自分の内側に求める必要のある答えだったのではないかと思います。
26ページのBOXイベの風景は懐かしの周回をイメージしました。僕は当時はゲームをやってなかったので分からないんですが、2017年当時の周回ならやはり孔明に魔術協会礼装だろうと。アーラシュにステラさせて後ろから出てきたバニヤンでズドーン!フレンドの凸カレ頼光でドガーン!多分そんな感じじゃないですか。知らんけど。
このページのモノローグは彼女の中で一番大きな問です。「生きて」と願う代わりに彼は指輪を天に還した。その願いを叶えてあげたいけど、そうしたら彼は遠くなって、ねじ曲がって、やがて薄れて消えてしまう。ちょっと疲れちゃいますよね。彼を遠く過去に置いていって僕らは明日を生きていく。段々自分が許せなくなるのも仕方の無いことなのかもしれません。
365個目で暗転するのはもちろん2部序です。

本編〜ダ・ヴィンチちゃん編〜

32ページからのダ・ヴィンチちゃんパートは非常に作画コストが重かったのですが、描いてて一番楽しかったです。でももう二度とやりたくないです。特にあの篭手と杖、マジで勘弁してください。
部屋で待機中の時でも果たして礼装の手袋を付けているだろうか?という点は大いに悩みましたが、どんな時でもすぐ出動できるようにしている、それくらい非常が日常になってしまっているという彼女の心境の変化を表すために付けさせました。最初の扉絵のきちんとブーツ脱いでソファに寝っ転がっていた頃とは大違いです。多分この時の彼女ならブーツ履いたまま寝ます。
概念礼装がどんな形をしているかも悩みましたが、まあ描く都合としてアーケードのカードより少し大きいくらいのカードとして描きました。
報酬概念礼装の模写はロシア北欧あたりで「なんや簡単やないか!」と思ってたらシンで撃沈しました。作画コストエグすぎん?でも塗るの楽しかったです。
34ページの左下、暗闇へ向かう彼女と伸ばされる手のコマ、この手は彼女を縛る枷、暗闇に突き落とす手と見せかけて、暗闇の中でもかすかに支えてくれるもの、という感じです(ややこしい)。生きることがダイレクトに他人の死へと繋がる環境で、自分が殺した人に呪いの役目を背負わせるだけでは無い捉え方を少しずつ手に入れてきている、というシーンです。自分の命が誰かの死によって繋がれているなら、逆説的にその誰かの生命は確実にあったことになる。異聞帯という自分たちの心の中にしか残らない世界を滅ぼしてきて、そういう捉え方を身につけてきてるなという感じです。
その次の振り返ってるコマの顔は全シーンの中で一番気に入ってます。めっちゃ良くないですか?
36ページのダ・ヴィンチちゃんの周りの星はあれクリティカルスターですね。クリティカルスターである意味は特にないです。
37ページの上のサーヴァント色々集合シーンはそれぞれ別で描いて合成しました。モーさんの鎧死ぬほど難しかったです。マリーちゃんの馬は日本ダービーの時のドウデュースを参考に描いています。
普通の人間が頑張って世界を救うということ、それは何より「美しい」ことです。たまたま選ばれただけの人間が頑張っているからこそ俺たちはフジマルが大好きだし英霊も彼彼女に協力してくれるんだぞ、胸張ってけ!という気持ちで描きました。
39ページのぐだの笑顔は1番最後のロマニの笑顔に少し似ています。大切な人とは笑顔が似る、という僕の世界観の上で似せています。誰かが自分のことを思ってくれたのが嬉しくて、でももしかしたらその思いを叶えてあげられないかもしれない、そういうほんのちょっぴり寂しい笑顔です。
ロリンチちゃんが過去のダ・ヴィンチちゃんと重なって見えるシーン、ここでは2人のあり方の違いに注目してもらいたいです。服で隠れてしまってはいるのですが、ロリンチちゃんは踊るようなポーズをとっていて、ダ・ヴィンチちゃんは穏やかに立っているポーズをとっています。似ているけれど絶対的に2人は違っていて、だからやっぱり、失った人は戻ることは無いのです。けれどその思いの一端くらいなら受け継ぐことが出来る、ということに気づくシーンです。
40ページのダ・ヴィンチ工房めっちゃ頑張ったと思いません…!?これ見ながら描いたんすよ…すごく楽しかったです。その直後のぐだの持ってるコーヒーカップは終局の映画を3回見に行ってカルデア内の設備を舐めまわすように観察した成果です。
ロリンチちゃんとダ・ヴィンチちゃんの描き分けではロリンチちゃんは「未完成」であるという所に非常に気をつけました。モナリザとダ・ヴィンチを基にしているのですからロリンチは非常に美しい造形をしている、しかしどこかまだ完成しきってはいないという状態を自分に出来うる限りで表現しました。特に髪のツヤにおいてはダ・ヴィンチはかなり丁寧に何回も描き直しましたが、ロリンチはわりと勢いとかノリが出るように描いてます。でもやっぱりスーパー美少女!美しい!!
41ページの上の3コマのぐだの表情の動きはシナリオにメモ書きが残っているのでそのまま載せます。

(その言葉、その様子がかつてのダ・ヴィンチちゃんと重なる。一瞬だけ、あの頃の右も左も分からなかったけれど走っていたあの頃に戻ったような感覚になる。そしてそのとき初めて、あの頃の自分がどんな顔をしていたのか、どうしてみんなが自分を助けてくれたのかを少しだけ理解する。あの頃に戻りたいと、また彼に会いたいと、少しだけ思う。けれどダ・ヴィンチちゃんはあのときの彼とは違う行動をとる。彼女は背中を押すのではなく、手を差し出して、共に歩もうと言った。過去の影法師ではなく、今を生きる彼女であるが故に。同時に自分も帰れないほど遠くまで来てしまったことに気づく。けれどリツカはその違いを、その成長を好ましく思う。少しの郷愁と、それ以上の喜びを以て、彼女は目の前の美しい少女を見つめる。)

長いですね。こんなん3コマに収められるかっての。
重要なのは最後の何行かです。変わってしまうこと、懐かしい日々から遠ざかってしまうことは寂しいだけではなく喜ばしいことでもあるのだ、という非常に当たり前なことをやっと自覚した、というとこが大事なのです。
この物語の解釈においてぐだは結局闇へ向かっていくけれど、後ろには異聞帯で出会った人々やダ・ヴィンチちゃんやドクターがいて、隣には笑顔で手を引いてくれるロリンチちゃんやマシュがいます。だから恐らく、どこにたどり着いてもこのぐだ子なら多分大丈夫だと思います。どうか本編の藤丸もそうあってくれ……………(クソデカ感情)

本編〜マシュ編〜

43ページのマシュの後ろ姿は頑張って模写しました。下半身の方はゲーム画面にはありませんでしたが3回見に行った終局の映画では三臨だったので(下描きで脚が上手く描けましたが泣く泣く)三臨にしました。
46ページのマシュの見つけた答えは初期段階から何回も何回も書き直したところです。色々と考えましたが、終局でかなりその理由については語られていたので、あの時から時間を経て今のマシュならどんな風に答えるだろうかと考えた結果としてこのセリフになりました。
ドクターと同じように、一度は自分のために消えたマシュがその時のことをどう思っているのか。実質本人に聞きに行くようなもんですよこんなの。だからこのシーンでぐだの表情はとても緊張して不安そうな顔してます。
47ページのマシュすんげえ可愛いですね。すんげえ可愛いと思いながら描きました。すんげえ可愛いです。号泣するぐだの元ネタは巨人の星です。マジでこんな顔して描いてました。後輩可愛い。
48ページの上でマシュとぐだが手を繋いでいるのは二人の関係はやっぱり「手を繋ぐ」ということが大事なとこだと思ったからであり決して構図が思いつかなかったとか楽な方に流れたとかではないのです。ぎゅーっとする2人をとっとと描きたかったからカンタンな奴にしたとかでは絶対に無いです。
マーリンの助言によって自分の本当の感情を認識し、旅の中で自らに問いかけて気持ちや考えを精査し、ダ・ヴィンチちゃんとのやりとりで遠ざかることは必ずしも悪いことでは無いこと、別れた人はきっと自分を祝福して送り出してくれたことに気づき、マシュの答えで自分が進むことを絶対的に肯定できたぐだの「キミだけの戦い」はついにひとつの終着点にたどり着きます。

本編〜『』〜

クライマックスです。『』は型月的に言うと根源になっちゃうのですがこの場合の『』は特にそういう意味は無いです。
さて、ここで場面切り替えが黒のページから白のページへ変化します。主人公が旅を経て『』へたどり着く資格を得たならば、もはや断絶する黒で場面を切り替えることは適切ではなく、継続、流転する白で場面を繋ぐのが良いと考えて変化させました。黒で切ってると、場面ごとに一度夜へ落ちる感じみたいな何かがしません?子供の頃夜中にふと目が覚めてしまったときみたいな…そういう独りの寂しさとか、行き止まりになってしまったような感じとか…しないかもしれません…とにかく自分はするのです。その後の『』のカルデアの冷たい感じとか世界終わってる感を表すのにも白がいいと思って変化させています。
ここでのカルデアは「冷たさ」を意識して描きました。カルデアそのものがもともと持っているどうしようもない寂しさ、生命の薄さ、宇宙のような、死後の世界のような感じをひえた空気感と共に表現したつもりです。もしこの漫画を全てカラーで描いていたとしてもここだけは多分白黒にしていたと思います。結構よくかけたとは思っているのですが、唯一反省ポイントとして廊下が狭くなってしまっています。これだとゴルゴーンさんとか通れませんね。
廊下で目覚めるのは言うまでもなくプロローグのオマージュです。その後管制室へ行き、食堂へ行き、ドクターの部屋を訪ね、描かれてはいませんが他にもカルデア内の様々な場所を訪れ、最後に時間神殿(のセット)へたどり着く。これも彼女のかつての旅路の部分的なオマージュです。何故ドクターが居そうな場所のどこにも彼はいなかったのか、何故自室にいたのか。そのひとつは彼との最初の出会いを繰り返すという意味、ひとつは旅の最初で最後の場所へ戻るという意味、ひとつは自分自身の心の奥へ探しに行くという意味です。
彼との最初の出会いを繰り返すという意味については説明は必要ないと思います。旅の最初で最後に戻る、というのは竹箒日記ネタになります。
詳しくはこちらを。
竹箒日記2016
こちらの一番下のところを踏まえて、廊下で目覚めて世界中を駆け巡った旅は終局特異点を経て自分の部屋でひとつの終わりを迎えたのだと考えました。『』での旅もそれをなぞっています。
自分自身の心の奥へ、という部分はここが旧カルデアであることも併せて解説します。まずなぜ『』は旧カルデアなのか。このカルデアはぐだの心における「二度と戻れない場所」「もう更新されない記憶」「過去に置いてきたもの」の象徴のようなものです。
(これはあくまで個人的な「こうだったら面白いよね」という考えなのですが、世界のどんな場所も無くなってしまう場所なんて無いんじゃないか、と。ただアクセス出来なくなるだけで、世界のどこかには失われた場所がそのままの姿であるんじゃないかと思っています。ゲームの没マップのように、現在の世界とのアクセス手段は無いけれど、どこかにデータとしては残っている、みたいな…これはあくまでおまけの話なので本編にはそれほど関係ありません。でもこういう「そうだったらいいのにな」という考えがあった上で描いております。)
そういった戻れない記憶の中で最も厳重に個人に近いスペースに保管されていたものが『』のドクターです。ここへ来るのは自分の奥底へ来ることであり、そこにいるのは自分でしかありえない。だからぐだはこのドクターを偽物だと分かったのです。
これはわがままなのですが、この物語は「俺たちの心の中に彼は生きているんだ」というような話にはしたくなかったのです。確かに彼の記憶や考え方の一部は自分の中に残っているかもしれないけれど、それを以て彼を「生きている」とは見なせない。例えば死んだ人の遺体を完璧に保存して、その人から漏れ落ちた酸素や窒素や炭素を集めて、その人に関わった全ての人のその人に関する記憶を集めて、そうして作り出したものはその人でしょうか。そうではない、もうそれはその人では無い、となってしまうことこそが不可逆の死でしょう。彼にはどうやってももう会えない。それを踏まえて、自分の中に生まれた彼の幻影にどうやって答えを見つけてあげるか、という話にしたかったのです。
時間神殿がスタジオになってるのはそれほど深い意味はありません。ただ、これまでの海の夢やらなんやらもこういう風に、振り返ってみれば意外とすぐそこに答えへの道は用意されていた、という感じです。なぜスタジオなのか。これについては非常に簡単です。描いてた当時にシンエヴァを見に行ったからです。
54ページのドアが開く瞬間まで、ぐだはほんの少し、もしかしたら本物のドクターに会えるのではないかと期待しています。はくじょうものの自分にそんなこと有り得ないと分かりながら。ここにいるのは(前述の理由より)絶対に本物では無いのだと分かりながら。ドアが開いて彼の姿を見た時、やっとぐだは心の底から納得できたのです。

本編〜ラストシーン〜

なぜ「最初で最後の丸印」なのか。最初の丸印なのはもちろん初めてまともにドクターの夢を見たからです。マーリンの見せた夢?あんなのノーカンですよノーカン。
最後の丸印なのは、もうぐだは手帳に印をつけること自体をやめてしまうからです。丸印が最後なのではなく印自体が最後なのです。答えを伝えて区切りがつけられたから、もうつける必要は無くなったのです。
この日付は2020年の7月11日で、僕のカルデアで人理修復が成された日です。個人的ですね。

その後の誰もいないベッドに向かって話しかけてるシーンは夢の中か現実か…という話ですが、背景をよく見ると…という話です。これを描くまで気づかなかったのですが、旧マイルームと新マイルームの扉と家具の位置関係って違うんですね。
「また会おう」はなんと言うか、最後の未練みたいなものです。また会いたいです。

おわりに

解説は以上になります。予定していたよりも相当に長くなりました。原稿用紙に換算するとなんと30枚弱。本編より情報量的には長いんじゃないですか。
最後になりますが本編を読んでくださり&こんな長い解説を読んでくださり本当にありがとうございます。これ程長い漫画を描いたのは初めてなので拙い部分も多かったと思いますが、少しでもお楽しみ頂けたなら幸いです。
長々とお付き合い下さりありがとうございました。おそまつさまでした。


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