『やが君』について
はじめに
最近、『やがて君になる』という作品にハマっています。
もともと名前は知っていたのですが、推しの小泉萌香さんが舞台版に出演されているのを知ったことがこの作品に触れるきっかけでした。
舞台版の前に視聴環境があるアニメ版をまず見てみようと思い、軽い気持ちで視聴を始めたのですが、案の定頭から沼に落ちてしまいました。
もともと百合は好きだったのですが、それ以上に「誰かを好きになること」、「変わることへの肯定」そして「小糸侑」がぶっ刺ささり釣り針の返しのように食い込んで抜けなくなってしまいました。
「好きになること」について
この作品のいいところ、おもしろいところは「誰かを好きになること」について非常に丁寧に描写されているところにあると思っています。
百合という一応世間一般からするとアブノーマルな人間関係(*)をテーマとして扱っているので「なぜこの人が好きなのか?」という命題に焦点が置かれます。
(*この書き方はあまり適切ではないかもしれませんが上手な言い回しができないのでご容赦ください。)
七海燈子さんは最初は誰のことも好きにならない小糸侑さんのことが好きでした。では小糸侑さんが誰かを好きになってしまったら小糸侑さんのことを好きではなくなってしまうのか?
そうではありません。
「この人の〇〇が好き」というのはあくまで起点であって、好きの理由のすべてではないと思います。そのきっかけを基に育まれた感情や想いが好きの気持ちを形作っているのではないでしょうか。
なので七海燈子さんも初めこそ誰のことも好きにならない小糸侑さんのことが好きだったのでしょうが、最終的には小糸侑さんのことが好きになったのでしょう。
小糸侑
さて、このお話の主人公である小糸侑さん。
いきなりですが僕は小糸侑さんにクソデカ感情を抱いています。
誰かを好きになることを知らない小糸侑さん。そんな小糸侑さんが七海燈子さんとの関係を通して自覚のないまま好きを知っていく過程が……
ハァ~~~~~~~~~~~(クソデカため息)
七海燈子に七海燈子であってほしいから、いま目の前にいる七海燈子を否定してほしくないから、彼女を変えるために奔走する小糸侑さんが本当にまぶしくて、健気で……
小糸侑さん、後輩キャラで妹属性でどこか幼さを感じさせる二つ結びや身長、それなのにひょうひょうとしていて大人びている性格。しかし自分に誰かを好きになれないというレッテルを貼り自分をごまかしてしまう精神的幼さも持っている。
沼です。たすけてください。
誰も好きにならないとレッテルを貼っている分、たとえ異性であっても友達のラインを超えることがないと自覚していると思うので、きっと誰とでも仲良くなれるタイプだと思うんですよね。中学生の時に小糸侑さんのことを好きになった彼の気持ちもよくわかります。
俺、小糸さんのこと……(一般遠見東高校生徒)
それと時折見せるイケメンなところがとても好きです。七海燈子さんが小糸侑さんに甘える描写が多く、それを受け入れる懐の広さ=彼氏感(?)イケメン感(?)につながってると思います。特に原作44話で初めて七海燈子さんを名前で呼び捨てで呼ぶところ、ほんっっっとうに爆イケすぎて脳が破壊されました。大学生になって七海燈子さんとより深い関係になってからは敬語が抜けてよりフランクになっている影響で、内面がより大人になっているように見えてとても好きです。
たくさん悩んで、迷って、傷つくけど、七海燈子さんのため、そして自分のために頑張れる小糸侑さんが本当にかっこよくてまぶしいです。
おわり
「百合モノか~おもしろそ~」くらいのノリで見たらとんでもない角度で刺さって抜けなくなってしまったやが君。等身大の高校生の恋愛に脳を焼かれています。きっと高校生のときに見ていたらここまで刺さっていなかったと思うのでこのめぐりあわせに感謝しています。
まだスピンオフの『佐伯沙弥香について』や舞台版は完走できていないのでまだまだ楽しみがあると思うと本当にうれしいです。
もっともっとこの沼に浸っていたいと思います。
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