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上田秀人

竜は動かず 奥羽越列藩同盟顛末 上 万里波濤編
仙台藩下級藩士の婿養子だった玉虫左太夫は妻との死別を機に、学問を究めるため江戸へ出奔した。江戸では、後に昌平坂学問所の長官となる林復斎の邸に潜り込むことに成功する。学問への志が認められ、左太夫は下男から若党にすぐに引き上げられた。また、仙台藩江戸藩邸で講義を行う儒学者・大槻磐渓と邂逅し、藩主・伊達慶邦との目通りも叶えられる。だがそんな折、黒船騒動が起こり、「安政の大獄」へと世は移り変わっていく。左太夫は蘭学を学ぶために、復斎のもとを離れることを決意する。そうして掴んだのが、外国奉行・新見豊前守の従者の任だった。新見はこれから正使として、日米修好通商条約の批准にアメリカに行くのだという。あわただしく渡米の準備が進められ、安政7年(1860)1月、咸臨丸の勝海舟を追いかけるように、左太夫の乗った船は品川沖を出港した。それは日本人で初めての、世界一周の旅の始まりでもあった……。

竜は動かず 奥羽越列藩同盟顛末 下 帰郷奔走編
世界周航を終えて帰国した左太夫は仙台藩士の身分に戻り、京洛や西国の動静を探るよう藩主・伊達慶邦から命じられる。江戸で勝海舟に会い、福井で松平春嶽に接見したのち、京に入った。京では、勝に紹介された坂本龍馬と再会。さらに、龍馬から久坂玄瑞と引合されて、攘夷についての議論を闘わせる。薩摩や長州の情報を仕入れた左太夫は次に会津藩邸を訪ね、公用人から幕府の現況や会津藩の苦境を聞かされる。そんなさなか、抜き差しならぬ事態が起こる。薩摩と会津が手を組んだのだ。長州は京から除かれ、京洛は公武合体へ染まっていった。情勢の激動ぶりを目の当たりにした左太夫は、龍馬と別れ国元に戻る決意をする。江戸を通過して白河の関に差し掛かったとき、ある思いが脳裏をよぎる。「ここを封じれば……奥州は独立できるか」と。

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