見出し画像

7月8日は、なはの日&池田屋事件が起こる&中国茶の日&外務省開庁記念日&ウォール・ストリート・ジャーナルが創刊

【なはの日】

玉陵(たまうどぅん):琉球王国の陵墓

な(7)は(8)[那覇]の語呂合わせにちなんで、当初はラジオ番組「那覇が好き」のリスナーたちの集まりが、7月8日に独自の記念日としていたのを、後に、沖縄県那覇市が市の記念日として再制定しています。

例年7月8日を含む前後の週を中心として、市内清掃や特定健診をはじめ、市民と行政が一緒になって記念日を盛り上げる取り組みが行われています。

また、市が制定する記念日のため、7月8日には那覇市が運営・管理している、玉陵(たまうどぅん):琉球王国の陵墓、識名園(しきなえん):琉球庭園、歴史資料館を始めとした世界遺産や文化遺産の各施設等が、無料 or 一部割引きで利用可能です。


【池田屋事件が起こる】

1864年7月8日(旧暦:元治元年6月5日)、京都・三条小橋にあった旅館「池田屋」で、京都守護職配下の治安維持組織として動いていた新撰組が、尊王攘夷派志士たちを襲撃した「池田屋事件」が起こりました。

幕末期、開国気運が高まる中で、薩摩藩、長州藩、土佐藩を筆頭に、日本を外国から守るという思想を武力を絡め、ちょっと極端な方向に発展させていった尊王攘夷派たちは、幕府の政策では弱いと考え、幕府転覆を目論見、日本各地で数々のクーデターを画策していました。

そんな中、尊王攘夷派の筆頭たちが、池田屋に身分を隠して集まっているとの情報を得た近藤勇を長とする新撰組は、頃合いを見計らい、池田屋に集まっていた尊王攘夷派を襲撃。

約2時間近くに及んだとされる池田屋での騒乱で、尊王攘夷派の多くを打ち斬り、そのほとんどをひっ捕らえることに成功しました。

この新撰組の活躍は、京都内だけでなく、全国的にも新撰組の存在が広く知られ、幕閣の面々にも、その名を一躍轟かせた契機でした。


【中国茶の日】

中国語で「7」は「チィ」と言うことから、チィ(7)と、おちゃ(8)の語呂を合わせて、日本中国茶協会が、7月8日に記念日を制定しています。

平安時代の初期頃に、遣唐使節団によって日本に持ち込まれたとされる中国茶をより楽しんでもらおうと、一部のデパートやスーパーでは、お茶に関する催しが行われています。

《余談》
今日、世界中で親しまれているすべてのお茶の起源は中国とされていて、「チャ」の名称も中国語が元で、北京語でも広東語でも「チャ」と発音されます。

イギリスとの貿易窓口となっていた福建省の一部地域では、「茶」という字を「テー」と発音することから、 ティー(tea):英語、テ(thé):フランス語の言葉になったと言われています。


【外務省開庁記念日】

当時の明治新政府が、明治2年7月8日(新暦:1869年8月15日)に外務省を創設したことにちなんで、記念日が設けられています。


【ウォール・ストリート・ジャーナルが創刊】

世界最大の経済新聞であり、掲載内容には高い評価と大きな影響力があるとされる国際的新聞「ウォール・ストリート・ジャーナル」が、1889(明治22)年7月8日に創刊しました。

ウォール・ストリート・ジャーナルは、経済紙として、いち早くデジタル化した新聞でもあり、無料版と定期購読を含めた有料版による契約を採り入れるなど、電子書籍転換への最たる成功事例としても注目されており、ビジネス面での取り組みも、各所で事例とともに取り上げられています。

(以上、ネット検索より)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?