見出し画像

泣けない歌の存在

お久しぶりですなぁ~
最後にここに想いを記したのは7か月前だそう。
かといって自分の気持ちに向き合っていなかったかというとそうではなく、
デジタルに残すよりも日記帳に気持ちを落とし込んでいましたが
再びnoteに登場です。

そうそう、最近Instagramを開設しました◎
こことリンクするアカウントですね。
noteを更新したらそこでもお知らせします。

昨日盛岡にて開催されたindigo la endのLiveに
参加してきました🌹

彼がindigoのファンだから、
私は興味本位でついて行ったんだけれど
な~んとindigoの魅力にどっぷりハマってしまいました。

私はいつも歌詞からそのアーティストを好きになる傾向があるのですが、
失恋、片思い、未練のようなワードが連想されるバンドだったので
まさかこんなにハマるなんて思っていませんでした。

雪溶けしてきた時期の草木の匂い、春の肌寒い夜の風、頬の冷え、夏の終わりの匂いや冬の朝5時の匂いを感じられる音楽たちに感動。
すごく魅力的なバンドだった。

また、心の中でとあることに気づきました。
‘‘家族に関連した曲‘‘が1曲もなかった。
私は、家族に関連した曲がとても苦手。

産んでくれたんだから、とか
育ててくれたんだから、っていう言葉はすごく鋭いもので、
簡単に人の心に傷をつけることができる。

そして私がこれまで好きになったアーティストたちは必ずと言っていいほど、親への感謝に関連した楽曲があることも事実だ。

ライブで聴いて、泣けない自分を知っていたし、
無理に泣こうとしたライブもあった。
でもそんな涙ほどすぐに乾くし、
無理に泣こうとしていた自分に泣けた。

必ずしも親に感謝できる家庭だけじゃあないことを私は知っている。
親に心を苦しんだ経験がある人ならなおさら。
そして世の円満な家庭と比較してしまう感情も知っている。
だからせっかくライブに行っても
そういった意味で一瞬すごく苦しくなる瞬間が今までずっと、あった。

今回のライブではそういった瞬間が一切なかった。
ただただ楽器の音に魅了され、歌詞もあまり入ってこなかった。
これは良い意味で、歌詞から何かを連想することがないくらい
演奏、演出に夢中になれた。
表現者って、ああいう人たちのことをいうんだなあって思った。
歌詞が直接今の自分に共通していなくとも、彼らの世界に連れて行ってくれるような音楽。
なんだか純粋に感動できて、
心を溶かされるような、そんな時間を過ごした。

家庭の悩みは尽きることはないし、
一生悩むんだと思う。
だからこそ簡単に人には言えないし言わないようにしている。
悲しんだ気持ちが悪い意味で薄れるのよ。私自身が明るく話すから。

3年くらい前、家庭環境で苦しんでいる人と話す機会があった。
最近は家庭での悩みを人に話したことない!って。
理由は「この感情は、実際に経験しないとわからないから」と言っていたことを思い出した。
その通りだなあ。

親同士の喧嘩を聞くことはあっても、
怒鳴り合いや泣き声、物を投げて割れる音を聞いてきた人とは違う。

親同士に会話がないことがあっても、
無関心で会話がないことを察した人とは違う。

私はどちらとも後者だったから、
なおさら家庭問題への共感を求めることはここ最近だとめっきり減った。
そういう、自分しか分からない苦痛っていう存在を抱えているけど、
そこに対して「みんな色々抱えている」という風に総括することだけはしたくない。
人の悩みに触れた時、「みんな」というワードが出てきた瞬間、
私はその人に何かを相談することを辞めてしまうし、
げんなりしてしまうのよ。

だからこうしてnoteという場所で想いを綴ることが好きなのかもしれない。
心の拠り所になっているようです。

もともとライブの感想を書こうとしたけどいつの間にか脱線していました。
脱線というか、発展してました。。(笑)
でも、感じ方は人それぞれだから、いいのいいの◎

自分に存在する感受性に苦しむことが多いけど、
表現に触れるときはこの感受性に感謝している。

帰りに会場でガチャをしましたところ。

むしろ強運。。

またindigoの音楽に触れにいこう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?