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[雑記]謎の嗅覚~ヒラリーマンの危機感

こっそり他記事で、会社のレールを外れる選択をしたことを書いたが、その最も大きな要因である危機感と決意を、備忘録として書き残してみる

一つ目:ベクトルが異なる

一般的に、会社員として目指す”上”は、管理職、部級、経営層…という方向性になるのではあろうが、自分の環境・今の勤務先にいることになった経緯は順風満帆なわけでなかったので、元からある程度の区切りは見えていた。

そしてちょびっと昇格した際に求められたことと、やりたかったことの差がどうしても埋められなかった。
特に、コロナ禍で余計に、それが顕著に表れた。
リモート対応など新しい就業体制に合わせた、業務マネジメントの改善が必要と思っていたが、指示されたのは「コロナ以前の就業体制で進めること」だった。

会社全体では変化しようとしても、職場という単位ではそうしない人が裁量権を持っていて、唯一応じるのは「責任を問われる」という事態の回避の時だけ。例え、朱に交わらないようにしていたとしても、そういう私のような人間にお鉢が回ってくることはないだろうという見切りがついた。

二つ目:ガラパゴス化への懸念

営業や開発と異なり、間接部門は大半が社内調整業務である。
そこで「頑張る」というのは、その会社内での調整力が高まるなど経験値を得られるのだが。
ちょうど春先より、過去の伝手でいろいろな講演などをプライベートで参加する機会が増え、そこで思いっきり衝撃を受けたのだ。

例えばAIだとかDXだとか。もちろん社内でも取り上げられることはあったし、職場でも「なんとかついていかないとねぇ~」ぐらいの反応はあったが。
同業他社がトライしていることが、桁違いにすさまじく…。
各社のビジョンの描き方が、抽象的でなかったのも、頭をガツンとやられた。

こんなにも世の中が動いているのに、そういう情報に触れることも無く。
ただ会社の業務を頑張っても、浦島太郎になるのでは。
社内的に良くても、社会的にはガラパゴスな存在になっているのでは…という恐れが占めてきた

三つ目:時間の掛け方

世の中の変化についていきたい気持ちがあり、そういうのを今からでも学ぼうとしても、40歳文系出身の頭や体がそうすんなりと順応してくれないことは想像に難くなく。
そして個人的に、一昔前に流行ったカ〇マーのように、凄まじい時間捻出ができる人間ではないということもあり。学ぶ時間という余裕が欲しかった。

一方で、職場は昇格を目指した業務貢献を求めてくる。すなわち、業務に自分の時間を合わせなければならない
仕事を終えても、休日であっても、片付いていない仕事のことを考えざるを得なくなった時、マインドフルネスなど使って乗り切れるのだろうか。
好きになれる業務であれば良いが、どう考えても(主に人間関係で)そこまで好きになれそうもないことに、給与のために投じて良いのだろうか。

それで得られるものは…10年後の自分としては、果たしてどちらが良いのだろうか、と考えた際に、給料が減ろうが、自分の時間を持ちたいことが上回った。

これは賭け

新しい世界を知りたがる性格なのと、オタク気質なのと、どうやら感性が若干周囲と異なるという、事務系サラリーマン界ではハマりにくい性格により。こういう選択をしたわけだが。
この選択が正しいという可能性も無いのだが。

どうせなら思ったように生きようと。使える時間を元手に。
20代理系出身者に混ざり、AIなどを勉強し始めた。
ボケ防止という言い訳をしながら、日常会話のセリフ覚えに四苦八苦していた英会話も、時事問題を英語で見る聞く話すというレベルに上げた。
レベル上げた分、出費も痛い…。

それでも”やりたい”という気持ちに素直になってみた。
そんな四十路がどんな結末を迎えるのか、ちょいちょい報告できればとも思う。





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