なにかを変えることのできる人間がいるとしたら、それはなにかを捨てることのできる人だ

こんにちは、神社です。
今日はタイトルにあるように「なにかを変えることのできる人がいるとしたら、それはなにかを捨てることのできる人だ」ということで、
最近自分は人生でなにを捨てて、なにを得ることができたのか考えることが増えたので記事にしてみます。最近哲学にはまりつつあります


成功者は


世のなかの成功者(なにかを成し遂げたり、夢やビジョンを叶えた人、好きなことで生きている人)がほとんどかならずと言っていいほど、「なにかを捨てる」というフェーズがあります。
「世の中は等価交換だ」「なにかを得るには何かを捨てなければいけない」タイトルの言葉も進撃の巨人から抜粋したものです。
成功した人は「地元の友達、楽しい大学生活、酒、たばこ、学校、プライベートの時間、等々
なにか大きなものを得るにはやはりなにかを捨てないといけない、
なにかを捨てるというのは覚悟がいります
成功するにはそれなりの覚悟がいるのだなーと

自分が捨てたもの、得たもの

自分はまず小学生の時に、「楽しい友達との遊び、ゲーム三昧、」これらを捨てて、サッカー、水泳、陸上、塾、公文、を習い事としてやってきました
これらのおかげで自分は
「上の中から下くらいの運動神経と学力、打たれ強い精神力、根性」を得ることができました
これらは自分に多くの選択肢を与えてくれました。
高校生、大学受験時には
「楽しい友達との時間、ゲーム(世界ランキング120位まで上り詰めたものとか)、睡眠、高3からは恋愛」も捨てました
結果として自分は第1志望の旧帝国大学に進学することができました。
高校生の時は私立の楽しそうに遊んでる姿や自分が高校生の時にやりたいとおもってたことをやってる人をみて、
心からの妬みで苦しみ、涙を流すこともしばしばありました。
自分は勉強を始めるのが遅かったので人よりもたくさんの勉強時間が必要でした。1日10時間勉強、睡眠時間は5時間を切ることがほとんどで5時間寝ることを目標に日々頑張っていました。
そして大学です
20年という短いですが自分の中で1番とがった人生を送ったのが大学です。
大学で捨てたもの(1,2年生前半)は
「友達、恋愛、サークル、いわゆる楽しい大学生活」です、これらは捨てたというより捨てざるを得ない感じだったのですがこれらを捨てたことによって自分は、挑戦するきっかけ、時間、覚悟を持つことができ、自分の人生の目的を仮ではありますが見つけることができました。

また、そうゆう風にして人に価値を提供することが
増えたことによって同じように挑戦したいことがある人やおもしろい人と出会うことが増えました。そこでも感じたことがあるのですが、
成功してる人は過去に大事な人を失ったり、青春を捨てたりなどなんらかのことを捨てた人が多いことに気づきました。
人は幸せな時、物事を注意深く考える必要がないので注意深く考える力が養われません。自分の出会った人に洞察力がずば抜けた人がいます。その人は過去にかなりの不幸があり、人のことをよく見るようになったと言います。それによって、洞察力がすごく鍛えられ人t話したときにその人の本音が分かると言います。視線や言葉使い、トーンなどで分かるらしいです。

ということで今回の記事で伝えたかったことは「なにかを得るためにはなにかを捨てる覚悟がいる」ということです。自分も覚悟を決めるときは近づいてます。

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