【ジョンレノンのMOTHERと忌野清志郎のお母さん、いじめと中年クライシス、あと今気になる情報詰め合わせ】


母の日だからということではないのだけど、たまたま見つけたのでこれも何かの縁だと思って貼っておく。ボヘミアンラプソディーとは180度ちがう母への思いだなと。この歌アメリカでは発禁なんだって。なるほどなぁ。

▪️ジョンレノンのMOTHER
https://youtu.be/1MIXon2f91c

Mother, you had me But I never had you
I wanted you  But you didn't want me
 So I got to tell you Goodbye Goodbye

お母さん 僕はあなたのものだった
でもあなたは僕のものではなかった
僕はあなたを求めた
でもあなたは僕を求めなかった
もう言わなきゃ お母さん さよなら

▪️忌野清志郎版(MOTHER日本語カバー)
https://youtu.be/1MIXon2f91c
清志郎さんの日本語訳はどうしても原曲より胸にひびいてしまう。ずいぶん意訳だから原曲とはもはや違う曲だと思いつつ。私もこういう日本語訳をしたいと思っている。全くの自分の解釈と思いを乗っけることになるので原曲の作者作詞者にはちょっと申し訳なく思う。


さて表題はこないだの心理系note作家さん。note記事を読み尽くしたのでホームページのブログも読み進めている。こちら支援者向けなのでnoteよりちょっととっつきにくくて難解。だがそこがいい。


▪️ いじめられている子に親や周囲ができる対応【将来の重症化を防ぐため】
https://solea.me/2020/06/10/bullying-action/


▪️ スクールカウンセラー必携いじめ対応の秘術!【臨床心理士の知恵】
https://solea.me/2020/06/12/school-counselor-skill/


▪️中年期は果たして最悪の時期か?【幸福曲線と愛着曲線の違い】
https://solea.me/2020/04/08/middle-age-happiness-attachment/


▪️ジョンレノンのMOTHERと憲法改正
https://solea.me/2018/07/13/憲法改正と虐待問題/
ここから冒頭のMOTHER貼り付けの流れに。あとでまた聴く。


▪️ 【摂食障害】医学的な診断と心理的な見立ての違い【重要】
https://solea.me/2019/10/23/ed-diagnosis-appearance/


▪️ 【認知行動療法 CBT】の効果は何歳くらいからあるのか?
https://solea.me/2020/06/08/cbt-age/
うん、新たに読書会でメンタライゼーションを理解するぞ、と張り切ってたんだけど、この記事によればすでに適応年齢外だった🤣それじゃあまぁ息子らの思春期に生かす方向で。


(母親は母親の役割があるので家庭の中で心理やケアの専門家にならない方がいいという意見は全くもってその通りだと思うので、あくまで読み物として。子育てうまくいかなくなったら迷わず専門家を頼る。当たりを引くまで探す)


▪️自閉症と愛着障害のPTSD的な記憶【ATARUに見るサバン症候群の記憶】
https://solea.me/2019/12/11/ataru-savant/

▪️ カウンセリングが進むといじわるになる時期がある【抵抗しないこと】
 https://solea.me/2020/01/29/mean-season/

▪️ヒプノセラピー
https://solea.me/2018/07/08/ヒプノセラピー/
そうか、この人もともとエリクソン派の催眠療法の人だったのか。なるほどなぁ。


▪️ 愛着のバトンタッチ~生まれてから死ぬまで【愛着障害のカウンセリング】
https://solea.me/2020/07/09/attachment-baton-touch/
愛着って子どもに必要なんだと思ってたけど、大人になっても続くんだなと。


あとこれは今映画館でやってる映画なんだけど、気になるので貼っとく。 DVDになったら見ようかな。幸福の国フィンランド発サイコホラー?かな。完璧な家族とその闇。うーん香ばしい。
▪️ハッチング・孵化
https://eiga.com/amp/movie/96552/

あと読みたくてまだ読んでない本『聖なるズー』動物性愛の人たちの話。図書館で予約だ。
▪️聖なるズー
https://bookmeter.com/books/14688990?review_filter=netabare
感想から引用
「筆者はズーたちとの対話を通して一つの発見に至る。「人間と動物が対等な関係を築くなんてそもそもありえないと考える人は多いかもしれない。だがズーたちを知って、少なくとも私の意見は逆転した。人間と人間が対等であるほうがよほど難しいと。」ズーたちが忠実であろうとする動物とのセックスや関係における対等性こそ、人間同士の関係では見落とされ、軽視されているものなのではないかと思う。」

「あらゆるセックスの暴力性やうしろめたさをごまかす「愛」という錦の御旗、そのような「言葉」を使いえないとき、どうやってお互いの間に樹立し通じあわせていくか。」

言葉が通じない、片方が片方の庇護の元にしか生存し得ないものと対等な愛ある関係を築くということ。これは親子の愛情交流(もちろん性愛ではない)にも通じるものがあるのかな、と思った。

こちら筆者へのインタビュー記事
https://bunshun.jp/articles/-/15732?page=1

ズーに生理的嫌悪感がある人はこの言葉を介さないペットと飼い主間の愛情関係に親子関係や小児性愛を見てしまうのかなとも思う。ズーの人たちのその気持ちがどこに由来するのか、それを知ることや線引きすることに意味なんてないのかもしれないし、内面の自由の範囲内だと思う。今のところ日本でズーには法的規制はない。そういう人たちがいる。ただそういうことなのだろうと思う。

私は我が子を愛せているのか。パートナーや友人に向ける親愛の気持ちはどこから来るのか。支配欲やその他の欲とごっちゃになっていないか。立場の違う相手と対等になろうとすること。対等に愛するということ。とてもむずかしいなぁと思う。

上のレビューにあった「あらゆるセックスの暴力性やうしろめたさをごまかすための愛、その言葉」という洞察には心より同意だし、もう一歩言えば愛そのものが持つ暴力性をごまかすために愛の言葉があるんじゃなかろうかなんてことまで思ってしまう…母の日に寄せて。

#今日のお歌 …【寝ても覚めても】相手の合意を取ってない時点でどんな愛も暴力なんだ。つまりこの歌はそうとう凶暴な愛なのね。これから思春期を迎えるキミたちへ、せめてもう少し離れたところで歌い祈るよ。
https://youtu.be/xMiVvQ8N990

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