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【対話をするということ①】※長文注意。


教育虐待による母親の殺害事件の裁判の記事を読んで色々と考えたので思考メモ代わりにツラツラと書く。思考しながら書いたので長いです。長文が苦手な人や、ショッキングな事件が苦手な人は読まないようにしてください。親子関係にトラウマがある場合にもお勧めしません。

この裁判では一審・二審ともに判決が被告に寄り添うものだったのが救いだと思う。私も子育て中の親として、改めて「親は子を所有物だと思ってはいけない」と強く思う。育てた恩を子どもが自分で感じるのは自由だけど、親が強要することではないのよな。自戒自戒。

https://this.kiji.is/741154375854899200

上のリンク先の記事で、一審では頑なに母親殺害を認めなかった被告が、一審の判決で「同情の余地がある」と共感し寄り添う判決文をもらったことで、二審で主張を一転し母親殺害の事実を認めた、という経緯がとても印象に残った。

私の好きな思想家?のDJあおいさんという人の言葉で「褒めて伸ばすよりも、叱って伸ばすよりも、許して伸ばしてあげること」という言葉がある。
https://twitter.com/djaoi/status/1370347599169921035?s=21

人は許されて成長する。

今回の被告のしたことは取り返しがつかないし、法律に照らせば殺人は許されざることだと思う。

それでも判決文は温かい。

「罪と向き合い反省して償ってください。これからは自身の判断で進路を決めなくてはいけません。大変なこともあると思いますが、負けずに自分の選んだ道を歩むことで更生してほしいと思います」

失敗やできないことを責めることはその人の成長する力を奪うことになる。

今回の事件と裁判の経緯は、善悪とはなにか、教育とはなにかを考えさせられた。

この親子の間では、対話が全く成り立たなかった。一晩中罵られ続けるのは暴力以外の何物でもない。

親子でなくても、立場の上下がある中で自分の価値観を人に押し付けてはいけない。対等だと思える関係であっても、特に自分の方が正しい、我に正義があるとる思っている時ほど要注意。自分の価値観とはちがう人の人権を知らずに踏みつけていることがある。

「正しさは人を攻撃していい免罪符にはならない。」これはとても大事なことなので今後も何度でも言うと思う。自戒を込めて。

自分の信念について良さを伝える努力と相手を否定するのはちがう。

相手とちがう意見を人と交換するとき、【その意見を差し出す手が相手を殴るための握りこぶしになっていないか】ということに、いつも気をつけたいと思っている。

私も自分とちがう意見を出されると、それだけで【自分を否定された】とカッとなってしまうことが時々ある。そんな時自分にこう言い聞かせる。

「自分は自分。自分とちがう価値観の人がすぐ横にいても、そのことで自分が否定されたことにはならない。その人も私も等しく存在していい。」

自分とちがう意見の人と対話する時についついやってしまう間違いで、対話を通して相手を言いくるめたり、自分の言葉で相手を変容させようと強く働きかけてしまうことがある。

対話は相手を変容させるためにすることではない。自分を知ってもらい、そしてなによりも相手を知るためにすることだ。

お互いをよく知った結果として、相手が変容することはあるだろう。こちらも自論に手を入れて歩み寄ることもある。でもそれはあくまでも結果であって、相手の変容を対話の目的にするのはちがうのではないかと思う。思想・良心・信条の強要は日本国憲法に保障された自由を侵すハラスメントだ。

こういう風に言うと、既得権益や数の利を持つマジョリティ側の人は、「なんでもかんでもハラスメントで、相手とちがう意見なんてなにも言えない」という。そしてマイノリティの側からは「相手を変えられないのなら、対話に意味なんてない」、という意見が出たりする。じゃあ対話の意味ってなんだろう?

攻撃や強要にならないように注意しながら、お互いに自分の意見を隠さずに言い合うことに意味があるんじゃないかな、と私は思う。

いかにもカッコイイ正論とかではなく、ドロドロしたものや、ズルイ部分や、弱い部分なんかを。

所詮は人間なんてカッコつけたってたかが知れてる。損得か好き嫌いで判断して、後からそれらしい理屈や正当性をくっつけてるだけなんだろうと思う。

本音のガチンコの対話を通して、そうか、私はこんな考えを持っているんだな、と気づいたり、対話の中で相手の価値観のココをなぜイヤだと感じるんだろう?と自分の感情を深く掘って内省することができる。

対話しても合意に至らなければ、今回は意見が揃わなかったな、と無理に食い下がらずにアッサリ引き下がるようにしたい。一度の機会で自分の何もかもを分かってもらおうとしないことだ。そして何度でも相手を知ろうとすることだ。相手や自分自身の弱さやズルさにひるまず、奢らず、できるだけ肯定的に、できるだけ共感的に。

みんなちがってみんないい、という金子みすゞさんの言葉をいつも念頭に置き、人と対話していきたい。

#私はすばらしいアナタもすばらしい

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