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【嫌われる勇気読書会・承認欲求と所属感の回】


p128〜p138
・承認欲求を否定する
・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
・次回「課題の分離」←いよいよ佳境



読書会が終わった後の自分の連続ツイートと、そこに意見を寄せてくれた参加者の方々とのやりとりが、自分の悩みの本質をついているなと思ったので流れてしまう前にここに保存しておく。

何度も繰り返し読み返しては噛み締める(噛み砕く)ために。(元のツイートは全てリンク先から繋がったツリーで読めます)

…ほかにもハッシュタグ嫌われる勇気読書会で色んな人がいろんな言葉を発しているので後で追いかけようと思う

→ 追いかけた結果、以下気になったワード
・親から降り掛かってきたことは、ある種の「呪い」なので、それを「嫌う」ことで祓えるようになるといい
・家族に参加するための資格を得る努力
・コミュニティに所属していることと承認欲求が満たされることは≠。お礼を言ってもらわないと嬉しくない人は仲間じゃない。共同体感覚を育てることが子育て


以下自分のツイート抜粋
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1496851923794001922?s=21


私にとって嫌われる勇気とは、ずっと母に嫌われる勇気であり、もっと言えば、母を嫌う勇気でもある。私の世界は未だに母を中心に回ってる。たぶん一生。でもそれでもずいぶん生きやすく息しやすくなったんだ、これでも。
#嫌われる勇気読書会


すぐいいねがついてなんだか泣きそうになっている。いや泣いている。私にとって嫌われる勇気に出てくる青年の主張と哲人の話はもう結構そっちのけで毎回いつも母との関係をどうするかそればかり考えて読書会に参加している。私には娘が居ないけど居たら(同一視してしまいそうで)相当悩んだと思う。
#果たして私は母を嫌えるのか


私にとって、世界で一番気を使う相手が母なので、所属感とか安心感とは無縁の存在で。そんな緊張感あふるる母との関係を今後介護とか色々あるだろうに、これから先私はどうしていきたいのか…それを読書会を通して考えていきたい。
#嫌われる勇気読書会


めんたねさん(←読書会主催者)からすれば「無理に嫌わなくてもいいのでは?」と言われそうだなぁと思うのだけど…嫌うことが【できる】かどうかというのは一つの大きなポイントで。母を嫌っても大丈夫と思える安心を得たいのかもしれない。私がこの世に存在してもいいか?自分でもよくわからない
#嫌われる勇気読書会


最近読んだ本がこの2冊で。私の夫は所謂「理解のある彼くん」で。一方で母との関係はこの村井理子さんの「家族」のように弱い者同士が絡み合ってどうしようもない寂寥感に包まれている。旦那の家族の安心感と自分の家族の寄る辺なさ。それを哀しいと思うと同時に抜け出せた嬉しさもあってそれが罪悪感。


今回参加者の方々のお話を伺って、人それぞれ皆親は居るんだなぁと。娘と母の構図で考えれば息子には父が立ちはだかるのかもしれないし。 よく「許し」というワードも聞くけど…吟味中。


読書会では、似た悩みを持った人の存在がすごく心強くて…


私は未だに母を傷つけることが怖くて仕方ない。

それはもうずっと私の世界のタブーで。母を傷つけたら世界が終わると思っている、親に見捨てられたら生きていけなかった時代の小さな自分がまだ胸の中で抵抗してる。

でも母を傷つけてしまって平気になった自分とは誰なんだと思う自分もいて、カオス。


「善意でぶん殴ってきたんだよ」
「呪いの言葉を周囲には吐かないよ」

そう言ってくれる人もいて。これは本当に。祖母から続く呪いの連鎖はもう私でスッキリ終わりにしたいのです。

私も母は好きなんですよ。苦しいほど。


ある方がお母さまと見て爆笑して関係が良くなったというドラマをお勧めしていただいた。
→グレイス&フランキー
https://www.netflix.com/jp/title/80017537


これは興味深い。
ぜひTSUTAYAの海外ドラマ棚で探してみようと思う。(未だにDVDレンタルでTSUTAYAを愛用するアナログ人間)

介護されている(された)方からは「割り切る」を教えられた。…大事。
私もいつか割り切るために、落としどころを探ってみよう。


実体験として、親に幻滅することで、一旦切除できて、少し客観的になれて、少し受け入れてあげられるようになったという方もいた。


幻滅かぁ…正直母は理想的すぎる、私の感情を先取りして私の2倍表出しすぎる、自分のことをさしおいて私に尽くしすぎる、強烈な同一視(娘は自分と同じ意見のはず)等、過去の祖母からのネグレクトに傷つきすぎて過干渉の善意と愛情(自己愛)で私が窒息&根腐れしそうになるだけで悪い人ではなくて💦


親と子の役割が逆なのかもしれないけど、あなたはやさしい、と労ってくれた人もいた。


一言で言えば、私は母に幸せになって欲しい。そして私と弟を解放してほしい。(兄は母親似なので愛情を受け取るキャパが大きいので大丈夫そう)父親似の私と弟はナチュラルに母の期待(同一視)を裏切ってしまい毎回傷つけてしまう&私たちも傷つくのです。離れるしかないのか…あんなに愛を乞う人を。


母に期待しすぎないようにしよう、というのと母から期待されすぎないにはどうしたらいいんだろう、という悩み。

母の前で勝手に優等生を演じようとして勝手に傷つく自分をどうしたらいいのかわからない…母もおそらく似たようなもので。

善意しかなくてお互いが傷つく地獄をどう抜け出すのかが課題。


母を憎めたら、軽蔑できたらどんなにいいだろう、と思うのです。

母はその完璧さ、非の打ち所のなさで私と弟を追い詰める。

長々とすみません💦書いてみて自分はこんな風に感じていたんだなと改めて。たくさんのご意見本当にありがたい。すごく嬉しかった。

母を幸せにする、そして自分も幸福になる。なんと登り甲斐のある山かと改めて思いました😇


#写真は最近読んだ本と私のくだらないネタツイート
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1496872684411830279?s=21

#今日のお歌 …【花あかり】これは父方の祖母の歌なんだけど、「咲いて咲いて咲き尽くしたらあなたは褒めてくれますか?」なんて歌詞が出てくる。怒りも哀しみも喜びも、どこまでも承認欲求なんだよなぁ。やれやれ。
https://youtu.be/HNVGNiBXhd4

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