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【ネットトラブルの相談に答えたらなんか思った以上に自分の考え方が整理できたので貼るの巻】


※長いよ。あと若干上から目線なのでそういうテイストが不快な方は閲覧をおやめください。また相談回答の原文とは若干内容が異なります。

うんうん。きっとすごく優しく話しかけたんだと思う。なのに暴言で返されたのはびっくりしただろうし、気の毒としか言いようがないよ。私も良かれと思ってアドバイスしてそんな受け答えをされたら悲しい。

ただまぁ結局は相手の人が感じているのは、相手の「変わりたくない」という部分に、こちら側の「変わって欲しい」という思いをぶつけられることで生じる痛みだから、その痛みゆえに暴走して暴言になってしまうので、話しかけ方を優しめに工夫するとかで回避できるトラブルではないんだと思うよ。

問題の本質よりも丁寧さや言葉遣いだけに気をつけていたら、フリーザ様みたいになってしまう恐れもあるし(丁寧な口調で相手にとって残酷なことをズバッと言う)。

自分にとって不快なことを相手にやめてもらう。それって簡単に考えがちだけど、相手を変えるってことだから、実際はすごく難しい。

人が変わるためには、その人自身が「変わりたい」と思うしかないと私は思う。

そのためには、どんなに遠回りでも、相手を共感的に理解して相手に一緒に問題意識を持ってもらって(だいたい相手は自分側の問題だと思っていないのでここが一番難しい)、一緒に変われそうな小さなところを見つけて、そこから手をつけてだんだんこちらの変わってもらいたい部分に近づけていくしかなくて、その過程はゲームセンターのクレーンゲームに似ている。

お目当てのぬいぐるみを取りたかったら、まずはお金を入れて(←ココ大事)良い位置にある要らないぬいぐるみを山ほど取らないと欲しいぬいぐるみには届かないんだよね。

相手の人の暴言に至るまでの、認知の歪みとか考え方の癖とか生まれつきの快不快とか育ち方とか親兄弟との関係性とか学校で受けた傷とか色々な諸々の原因を紐解いていかないと、自分の都合の良いように変わってもらうことは難しい。

その人の生きた年数分だけ自分との違いが積み重なっているわけだし。そのすれ違いはなんなら地球一周するくらいの隔たりがあって、ちょっと言葉で注意したくらいじゃ埋まらないとも思う。

もちろん不可能ではないと思う。そこまで相手のために時間やコストを割けるかどうか。

それなら、加害者の人に変わるよう働きかけるよりも、その人の言動で傷ついたと「思われる人」(自分の中で被害者認定した人)に慰めに行った方が早いような気もする。

案外慰めに行ってみたら、「いや、別に気にしてないよ。変な人だよね」という場合もあるし、そもそもそんな暴言知らんかった、ということも多い。その場合は伝える必要はないし。

暴言による加害者にしろ、被害者にしろ、「自分以外の誰かのための行動」は、案外自分の思い込みで、独りよがりだったりする場合があるんだよね。

(思いやりを否定するわけではないよもちろん。ただ自分が思いやりという正しさで盲目的に突っ走ってないかを時々気にする必要はあるなと思っていて。)

結局は「自分が傷ついたからやめて」とか「そういう美しくない暴言を私の視野に入れると私の世界が美しくなくなって不愉快だからやめて」と、自分軸で話した方が早い、ということになる。

最後のはちょっと分かりやすく赤裸々に書いちゃったけど、私が自分の正義感について分析した結果であって、誰か他の人のことを分析したり揶揄したりしている訳ではないので、悪しからず。

目に映る世界全てを自分好みに美しくしようだなんて、エンペラーじゃない限り無理なのだし。私好みじゃない人にも私の目に映る権利はある。(超絶上から。)

でもこうして自分の正義感を赤裸々に書いてみると、うわー、私ナニサマ!ってなって、じゃあ目を閉じて退場しよう、という気持ちになるので、正義感で相手に凸してしまう癖のある人にはある意味オススメでもある。

(ただし上のやり方でタテマエ的に正義感だったものを分析していったときに、自分の中に本音として残ったものが、単に自分が嫌な思いをしたから仕返しに相手にも嫌な思いをさせたい、っていうだけなら、泥試合になるのは致し方ないとも思う。)

本気で相手を変えたいのであれば、上の地球一周ルート(比喩)を通るの不可避だし。そんな時間無いし。

極論を言えば、相手を自分の都合よく変えるというのは、その人の歩んできたレールを自分のレールに切り替えてもらうことで、それって相手の人生に責任を持つ、っていうことなんじゃないかと思う。それってすごいことだよね。

相手の攻撃で自分や家族の生存が脅かされる、っていうなら断固闘うけれども、相手が自分のタイムラインの中で書いていることについてはつつかない。

(コメントでわざわざ書いてくることについては場合によっては無視するかもしれない。反応することで相手を勢いづかせることになる場合もあるから。)

私の尊敬する何人かの友人たちは、怒りを創作エネルギーに変えて、「相手を叩くのではなく自分の思う最高に美しい世界を描くことで現実のファックオフな状況と闘う」という浄化運動をしているのよ。

これは何も創作をしなきゃいけないということではなくて。相手を正すより、自分が「最高に正しく(美しく)あること」で自分の心を救済するという話なんだよね。

単純に言えば、例えばネット上ですごく嫌な言動を見聞きしたら、相手に注意しに行く代わりに、道に落ちているゴミを一つ拾うとか、ご年配の方に席を譲るとか、好きな人に好きって言うとか、別のことで世界を美しくする営為を行うというか。

その人のせいで「汚されてしまった」自分の世界を、相手を変えたり排除したりして綺麗にしようとするのではなく、別の部分を美しくすることで、トータルで美しさを底上げする、という考え方なのかな。これはすごく単純に例えて言ってるんだけどね。

あとは複数が参加してる会話の中で、その参加メンバーに関する暴言を目の前で目撃した場合にはちょっとやんわり私は違う意見ですと意思表明をするかもしれない。でも参加メンバー以外についての話なら、急用で自分は離脱します、と一言置いてその場をすぐ立ち去るかな。

前にDJあおいさんの陰口についてのまとめを投稿したと思うんだけど(下にリンクを貼りました)、そういうDJあおいさんとかネット上の知の巨人達の意見を色々と見聞きするにつれ、私も他人の陰口(ストレス発散)にまで口を出して制限する権利は自分には無いなと思うようになったので。

インターネットって公なようでいてプライベートな空間でもあるから判断はすごく難しいけれども。

もちろんそんな人への陰口は見るのは嫌だから理由をつけて退席するよ。参加はしない。傍観だとしても。見続けちゃったら、その場を構成するメンバーとしてイジメのように「黙認」することになっちゃうもの。

道義にモトルことをちゃんと注意しないのは正しくないことだ、っていうのはまさにその通りなんだけど、リアルの世界と違ってネットの世界だと全世界と戦わなくちゃいけなくなっちゃうので、リアルとは別の思考法が必要なんだろうと思うようになったよ。

なかなか器用にスイッチを切り替えられない時もあるけどね。少なくとも切り替える必要がある、というのは最近分かるようになってきた。

湘南乃風の純恋歌、♪目を閉じれば億千の星〜♪じゃないけれど、小さなネットトラブルは、ネットを閉じれば何もないのと同じだということ。(もちろん殺人予告などのネット上で済まない話は別。)過去のトラブルを何度も思い出してこだわるよりも、いったんスマホ(目)を閉じて、その場所以外にある億千の美しいものを見たり考えたりしたほうがいい場合もある。

まぁ、私も悪い意味で大人になっちゃったのかな、とも思うよ。

※これは生き方そのものについてではなく、あくまでもネット上での今後のトラブルを回避したいという小さな目的に向けてのクソバイスです。執拗な誹謗中傷は犯罪行為であり、被害の泣き寝入りを勧めているわけではありませんので悪しからず。


上で言及したDJあおいさんによる陰口についての所見まとめ(めっちゃたくさん集めてあるよ)

▪️DJあおいさんの陰口に関する所見まとめ
https://note.com/kirakiramamama/n/n892f3a70553f

最後のお口直し?に、DJあおいさんからの、他人の変容に関する記事を2つ。

■ あなたのことが好きな人は
自分のためにあなたを変えようとはしません
あなたのために自分が変わることを選択します
https://twitter.com/djaoi/status/1342491335270440961?s=21

■ 嫌いな奴にトラウマ級の傷を与える方法(良い子は真似しないでね)
https://twitter.com/djaoi/status/1342128221966352389?s=21

#そして昨日の写真とか。すげー綺麗な夕焼けだった。空が炎上してた(笑)今日のテーマとも被るなと思うので多めに貼っとく。
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1342440011568824327?s=21

#本日のお歌…【そうじゃねぇだろう・草案】https://youtu.be/7bxbv9VnT1c

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