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【嫌われる勇気読書会とくーちゃん(パーツ心理学・無限くつ下編)】

【嫌われる勇気読書会とくーちゃん(パーツ心理学・無限くつ下編)】
※今回長いよ、5230文字


p139 「課題の分離」とはなにか
〜 他者の課題を切り捨てよ p146


「今回のテーマは荒れるよ」というようなことを予め主催者さんが予告していたけれど、たしかにその通りで、今回の読書会は号泣回だった。私が。


前に別の方が号泣回だったと言っていた回があったのだけど、その時は私は刺さらず…私にとってのぶっ刺さりは今回だった模様。
(ちなみにその方は今回も号泣回だったそう)


私にもトラウマってあったんだな。ずっと生きづらさはありながらもうまく解消して能天気に生きてきたと思っていたけれど、不都合な感情はぐいぐい無意識領域に追いやったまま忘れてただけだった模様。


ていうか今現在の人間関係の問題ってほぼほぼ過去の、もっと言えば幼少期の、親子の課題がキャリーオーバーされているんじゃ…って読書会の回を追うごとに思うようになった。


いつもは23時頃には終わる読書会だけど、今回はてっぺん(24時)を超えたので3時間強。全体に盛り上がりのあった回だと思う。


てか読書会っていうより集団カウンセリングでは??という気もしてきている。互助会的な側面はあるにせよ、心理職プロの人もちらほら混ざっているような気がするし、主催者の人は確実にその道のプロだし、質問という形で各自の心の問題について丁寧に答えてもらえるし、こんなにしてもらっていいのかしら。すごいな。


嫌なことがあったとき、嫌な気持ちに引っ張られないようにあえて明るく振る舞おう、っていう意識は私の中にもともとあったんだけど(ポリアンナのいいこと探し的な)、それが無意識に嫌な気持ちに蓋をして、嫌なことから目を背けよう、っていう抑圧や回避に繋がっていたのかもしれないっていうのは、今回改めて自分の気持ちを正直に吐露して見直してみてわかったことで。


会ったことのない人ばかりの集まりなのに40年蓋をしてきた思いを出せるなんてすごい心理的安全性が確保された場所だなと改めて読書会の場のすごさを思う。なんだっけこれ、心理的リアクタンス?安全性…ここには共同体感覚があるんだな、きっと。


あんまり自分ではものすごく我慢しているつもりも、逃げているつもりもなかったんだけど。(なんせ忘れやすいので、ちょっと嫌なことから目を逸らしただけでキレイに忘れてしまう)
意識の部分では忘れられても、無意識の部分では案外残っていたのかもしれない。


私から目を背けられたネガティブな感情は、私が笑ったり歌ったりしている間、邪魔しないようにずっとひとりぼっちで私から感知されない無意識のどこか奥底にこっそり隠れていたんだな。(隠れてくれていた、と言うべきか)


そして自分ではすっかり忘れてしまって見失ったはずのトラウマ体験や感情が、トリガーがあると出てくるのもわかった。たしかに過去にも「あれ?私なんで泣いてるんだろう??」っていうことが何度もあって。


私は小学校の頃からずっと内容に関わらず、自分の「本当の気持ち」を話すと泣いてしまう。たとえば道徳の授業中の発表で。旦那の前でも何度泣いたかわからない。


あれって実に不思議で。自分でなんで涙が出てくるのかさっぱりわからないのに出てくるの。

その時の感覚は、どんなふう??


私の中では特に道徳の授業での発表の時の感覚が一番強く残ってるのだけど、喉がぐっと詰まって、泣きそうになるのを堪えるのに口が歪んで、涙声になって、自分でもびっくりして、でも当てられたからそのまま発表しなきゃいけないし、でも話そうとすると喉がぎゅっと詰まって、頬が熱くなって、声を出そうとすると涙が出て…自分の口と呼吸が自由にならない感じ。


なんだなんだ、はやくサッとひとこと発表して座ればいいのに。そのひとことが出てこない。仕方ないから泣きながら発表した覚えがある。教材も発表内容もたしか本当になんでもないような内容で、ちょっと周りがドン引きしていたような気がする。


あとで廊下でさして仲良くないクラスメイト(たしかふだんほとんど話したことのない男の子だったな)に「さっきはなんで泣いてたの?」って言われて「私もわからない」って答えた覚えがある。


今思えば、「本当の気持ちを話しちゃいけない」っていう強い抑圧が働いていたのだと思う。

喉が詰まる。涙が止めどなく出る。これが私の一番苦しいシチュエーションでの身体反応で。ここに「感情」からのメッセージが込められているのだろう。


今回の読書会で習った、【感情はその人の役に立とうとしてそこにいる】という言葉は至言だなと思った。


怒りも悲しみもパニックですら、その感情は「私の役に立とうとして」出てくる。

そう考えるとネガティブな感情たちに親愛の情が湧いてくる。


ネガティブな感情を飼い慣らすには、かわいい名前をつけるといいらしい。


私のこの喉がくうっと閉まる感覚の感情には、「くー」と名付けようと思う。くーちゃん。くーちゃんがオモテに出て来たとき、くーちゃんは私に何をつたえたいのか。それをこれから紐解いて考えていく。少しずつ。今までくーちゃんが出てきた場面をつぶさに思い出しながら。


読書会の中で、今回に限らずエリクソンの名前も何度か出ていて(主催者の方はエリクソン研究家らしい)、読書会のメンバーでも気になった人もいるみたい。私も気になっている。


私は器用な方じゃないので、いったん嫌われる勇気が終わってからエリクソンは考えたいかな。でもこのまま続巻の幸せになる勇気に進みそうな気もするけど。だとすると年単位で伸びそうだから、気になるなら入ったほうがいいのか?エリ研。ううむ。その前に大人のための国語セミナーも気になっている。


(財布とも相談せねば。でも何より時間とか脳内キャパかな。あんまりあれもこれもやろうとすると、ハイになっちゃいそうで…社会情勢もあって今は脳が臨戦モードだから特に…)


これを読み返していても涙がとめどなく出るのだけどそのとき喉は苦しくない。(まぁ喋ろうとしていないのもあるだろうけど呼吸も平気)


読書会で発言したときもそこまで喉は詰まらなかった。もしかすると何度も何度も泣きながら旦那に本当の思いを聞いて貰ってきたからかもしれない。


この静かに涙だけがすぅすぅと出てくる感覚の時の感情(感情?)は仮に「すー」と名付けようと思う。


すーちゃんとくーちゃんはもしかすると同じもの(感情)かもしれないけれど…すーちゃんの反応の方が格段に私にかかる身体的負担は小さい。


実は身体感覚はもうひとり?いる。


私はよく緊張する相手がいる場で喋ると息継ぎがうまくできなくなる。無意識に呼吸を止めて話してしまうみたいで、話の途中でいったん途切れてハァハァしなくてはならなくなる時があって苦しい。


これを「はー」と名付けようと思う。


はーちゃんが出てくると結構ダメージがある(ごめんねはーちゃん)


私が本当の気持ちを話そうとすると出てくる「くー」「すー」「はー」。くーちゃんとはーちゃんは明らかに話すのを止めようとしてくるけれどすーちゃんはそうではない。


書いていて「3匹のこぶた」みたいだなと思った。たしかブーフーウーって名前だった。ディズニーじゃなくてNHKでやってた人形劇。


こうやって書いていると別の身体感覚が出てきた。まるで「私もいるよ」って声を出すみたいに


右胸上部辺りがぎゅーっとしてきて痛い。これはどんな気持ちなんだろう?


胸(チェスト)がギューだから「チギュ」と名づける。


お、次は左の上腹がぐーっと痛い。胃かなぁ…胃がぐぅで「イグー」と名づける。(この後ちょっと名前をど忘れして腹がぐぅのハグーと混乱する)


そうしてる間も涙がずっと出ている。

すーちゃんがずっと寄り添っていてくれている。

前は変な場面で涙が出ると(わりとある)周りに変に思われるしすごく困ってた。


自分は感情のコントロールができない未熟な人間なんだって落ち込んでいた。


けど今はすーちゃんに「寄り添ってくれてありがとう」という気持ち…すーちゃんは敵ではなく仲間だったのだ。
#自分の身体反応への共同体感覚を得たかもしれない


ん?今度は左胸の真ん中らへんが痛い。


チギュのギューーって感じでもなく、ハグーのキリキリとかヒリヒリする痛みでもなく、モンヤリする痛み方。

じゃあこの痛みは「モヤムー」と名づける。

ちなみにチギュもハグーもまだいる。特にチギュの主張が激しい。痛いって。


いったん落ち着く。深い呼吸をする。

今度は自分の中に血液の流れを感じる。酸素がつぶつぶとあちこちぶつかりながら身体をめぐる。末端の毛細血管が開いて手がジワジワする

もしかすると痛み達(チギュ・ハグー・モヤムー)に気を取られてはーちゃんが来てたのかもしれない。


ん?ハグー移動した。

ハグーはうんこの位置かも説🤣

胃だと思ってたのは大腸の横行結腸の終わりのカーブだったかな。内蔵図だと横行結腸は最後せり上がって胃の横辺りに来るのよね。

そして今ハグーはS字結腸辺りだわ。


イグーとハグーで分けよう。読み返すとそもそも名前がごっちゃに…🤣


汚部屋の人らしい混乱ぶり🤣


汚部屋片付けコンサルタントの人が言ってたけど、【片付けられない人ほどものを細かく分類しようとする】って…こなしきれない過分類…心当たりがありすぎる🤣


今回の身体感覚もそうだけど、必ず出るとわかってるレギュラーメンバー以外は細かく分類しすぎない方がいい気がする(しちゃうけど)

大まかには呼吸系、循環系、消化系よな。

最初イグーとハグーはたまたま混乱して出てきたんだけど、胃痛とうんこ通過痛(←赤裸々ですみません。大腸痛?腹がぐぅでハグー)は分けたほうがよさそうだなと思って、ハグーが出てきた後もイグーの名前は残します。


今回は最初からハグーだった可能性が強いけど、イグーも確実に存在しているので💡


あと血の巡りのつぶつぶ感とかその時感じた右足の裏の痛みも一応名前として残しておこう。(汚部屋の過分類の典型)


今回たまたま足裏だったけどこれ足裏とは限らないから足全体のどっかということで「アシイタ」って名付けよう。もののけのアシタカみたいでいいな。ちょっとピントはズレるかもしれないけど(←サン目線のアシタカ評)、全身全霊で助けてくれそう。


たぶん血が巡ると足裏とかふくらはぎが痛むのって循環に伴う冷えの解消からじゃないかと思っていて。【痛みのほとんどは「膨張痛」か「収縮痛」】ってどっかで読んだことがある。膨張や収縮にともなって神経の痛点に刺激が伝わるからって。気圧の変化に伴う偏頭痛とかもそうよな。あとは血流量の変化による血管の膨張収縮。

私ホント血の巡りが悪くて下半身冷えるのよ。ここの身体感覚を常日頃から意識できたらついでに冷えも解消しないかしら…なんてな(メンタルケアに便乗した余計な下心)


というわけで、とりあえず今日出てきた身体感覚たちを整理する


・くー(喉が詰まる)
・すー(涙が出る)
・はー(呼吸が狂う)
・チギュ(右胸の鋭い痛み)
・イグー(上腹の痛み)
・モヤムー(左胸の鈍い痛み)
・ハグー(横〜下腹の痛み)
・つぶつぶ(血の巡り・たぶん酸欠)
・アシイタ(たぶん冷えの解消痛)


さて、この賑やかなナカマ達(ナマカ←西遊記。古い!!モンキーマジック!)とともに、これから私のトラウマや無意識領域の感情たちと向き合っていく。


言うなれば、自分探しの旅に出る!世界旅行よりよっぽど広大で深遠な人体のふしぎの旅だわ。ニルス!(←バルスの言い方で)


コロナで旅行もできないし、ちょうどいいね✨自分探しって外に出ると思ってたら、逆だな。内側に潜る。よく考えてみりゃ、そりゃそうだよね、探すのは自分だもの。外にあるかっつーの。この週末は自宅でゴロゴロしながら旅をするぜ✨わははー。


あ、表題の「無限くつ下編」というのは、読書会の小班に分かれた話し合いで出た、子育て中に布団の下とかソファーの横とか部屋のありとあらゆるところから無限に脱ぎ捨てられた子どもの(あるいは夫の)くつ下が出てくる、という主婦の方の発言が非常に共感を呼んだことから。


それをまた主催者の人が「無限くつ下の班」って読んだことで一気にミーム化?した感じ。今回は大盛り上がりでいつもより1時間くらい長くて、身体感覚の話とかもすごかったし、無限くつ下編ということで(勝手に命名)様々な名言や学びがあった伝説の回として後世に語り継ごうと思います。


#写真は届いてしまった図書館で予約していた本たち …片付けサークルで紹介した時のzoom画像から…これをあと1週間で…?

#今日のお歌 …【アラウンドザワールド/モンキーマジック】https://youtu.be/KmnXyZhWS_E
懐かしの香取慎吾版西遊記バージョンで。(1’12辺りから「レッツカンフー!」の掛け声とともに曲が始まります。)

色々とへんな場面で出てきてしまう無意識領域からの使者、身体感覚たちよ!!オレたちはナマカだ!!ともに旅をするぜ。

※コメ欄でさらにそれぞれのパーツたちの生まれた年とか何を伝えたがっているのかと深堀りしています。

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