見出し画像

【暴力をふるう側の被害者意識という厄介な感覚について】


前に書いたアカデミー賞の件の続き。骨髄反射で下のnoteを書き、その後色々な意見を聞き、今また思う。

▪️ アカデミー賞のニュースからジョークと権力構造についてつらつら考えたこと
https://note.com/kirakiramamama/n/ncd35654adbba


あれからずっと考えている。暴力を【ふるう側の被害者意識】という、一見矛盾を孕んだ、しかしものすごくありふれた厄介な感覚について。

今回のウィル・スミスも【被害者意識】によって自分に暴力の【許可】を出した(ように見える)。


オスカー剥奪という話も出ている。
ウィル好きとしては冷たいようだけど、罪は罪として、それは償ったらいいと思う。やったことは取り返せない。自分のしたことの責任を負えるのが大人なのだから。

ただ、オスカーを剥奪されたからって私はウィル好きをやめたりはしない。私はウィルが好きなのであってオスカーが好きなのではない。人への好意ってそういうものだし。キャリアが傷ついても、彼が人間として誠実であれば、栄誉ある仕事はまた来るだろう。

いいか悪いかで言ったらどっちも悪いのだろう。私にはこの件については、善悪ではなく好きか嫌いかの話しかできないと思ったので冒頭に貼った日記でそう書いた。

逃げと言えば逃げだし、そうとしか言えないという嘘偽りのない気持ちでもある。

全体にウィル贔屓の日本に比べて、アメリカの世論はクリス寄りなのだとか。
レッツ勧善懲悪!の水戸黄門の影響だろうか。(風評被害)


(そういえば話題の本『叱る依存〜』の中でも勧善懲悪ドラマが脳に与える影響について書かれていたな。)


▪️ ウィル・スミスがビンタした件、日米で温度差があるのは何故なのか? アメリカ人記者に聞いてみた
https://analytics.twitter.com/mob_idsync_click?slug=kRyuRoX101&idb=AAAAEIDf72q0iEVy7nFeGMzK9pzflHexG46XFIG3dbM_DzvDZnoWyKmr9p7urqxwJC05L8SQbuIv2Lf1fVj0YVcb7gofLL2zZSB_iZCUASJCpKfmx4aZxTNjs8C75RErmYT_ieG78P3VhqnkxA6_b3iyj4KtBSG8DYiu2_A9MHX9t4h3zKN8QOVJ4bZTNO4Jd-dFPs1aDRg2NobyvkmuiKJxXbcgEMNc1zIRMuqmKf-O0N_FypAA_IsbINSZBOqnz-V4J9rL-aHnJykqIdEmGJzluA&ad_tracking=false&tailored_ads=true


▪️ 【深い】日本に伝わりづらい「ウィル・スミスがビンタした件」について / アメリカ在住日本人の話が目からウロコだった
https://rocketnews24.com/2022/03/31/1617141/

リンク先の双方の記事にある、やり返さなかったクリス・ハートへの賞賛。

最初違和感があったけれど、あれから色々読んでみて、さらに考えて、まぁたしかにその場で一言のイヤミもなくやり返さなかった「の」は偉かったなと思った。(謝罪もなかったけどさ。)


まぁやり返さないというか、やり返せないよね、どうぶつとしてもキャリアとしても。あんな強そうな相手(色んな意味で)に殴られたらこわいもの。


(まぁでも元をただせば、そんな相手を「ワンチャンあるか?」でいじったのはクリスだけどね。その試みは予想以上に失敗したわけで。お互いの力量とか色々なものを見誤ったわけだね。誰しも失敗はある。予想以上の大惨事だったけど。)


それはそうと、ここに貼った記事やら他にもアメリカ視点的な関連記事を読むだに、私が思っていたよりもずっとずっとウィルはアメリカのショービジネスの世界で強い存在なんだな。ポストエディーマーフィー的な?なんかずっと若手俳優みたいなイメージだったわ。


その辺の認識不足で論点がちょっとズレてた気がする、前に書いた私のこの件に関する日記は。


テーマが権力勾配だっただけに、この調査不足は致命的で。商業ライターなら仕事が減るもしくは受注先のレベルが下がる勢い。まぁなんのエビデンスも後ろ盾もない個人ブログではあるのだけど、ちょっと残念。自分のアンテナの低さと見通しの甘さと不明点を含めて言葉を按配するバランス感覚が。いやはや。


時事問題ってむずかしいなぁ。世間の注目が高い分、後から後からどんどん新情報が出てきて、限りなく訂正したくなってしまう。それならあらかじめもっと調べて書けって…ごもっとも。


閑話休題。


だから前の日記でひたすらウィル贔屓だったけど、ここだけちょっと訂正する。


まずね、暴力で返しちゃあかん、残念、という意見については、それはそうだと思う。


私もあそこは言葉で抗議する方がスマートだったと思う。言葉での抗議がアカデミーをカサに着た(←ウィル贔屓)コメディアン(クリス)に通じてあの場で即座に真摯に受け止め謝罪してくれるかは大いに疑問があるけれど…

まぁそれは相手の課題だものね。謝らせることが目的じゃなく、アドラー的に課題の分離をしたならば、おそらく抗議することが自分の課題で、自分が最善を尽くした上での相手の反応は相手に任せるしかない。(アドラー素人の見解です)

(最近嫌われる勇気読書会にてアドラー心理学をワクワクと学び中。この思考システムは争い事が嫌いな私にはすごく合ってる…読書会によればアドラー翁の思想の根っこは【戦争反対】らしいのでね。国同士に限らず個人同士ですら争いを避ける。そのための課題の分離。そりゃー私の肌に合うわけだいな、いえーい✨)


で、前の日記を引用すると、


「権力勾配について、今回の件は、知名度や俳優としての格みたいなものはウィルの方が強いというのはありながら、プレゼンターという主催者側の権力をプラスした【場の権力】はクリスの側にあったと私は見ている。」


って書いたけど、色々考えた結果、【場の権力】含め、確実にウィルに権力があった。(ここを私は読み間違えた)それをスタンダップコメディの歴史を踏まえて笑いというチートなルートで崩すことでギリギリの笑いに変えようとして、クリスは失敗した、という感じなのかな。

だとすると上の記事にある、アメリカ的視点での「ウィルがやったことは弱い者いじめ」という意見も、そうかもしれない、と感じる。

強い人はその力の使い方を覚える必要がある。
それは強さの責務だわ。


で、表題の件。暴力を【ふるう側】の被害者意識について。

暴力はあかん。そんなこと百も承知であろうポリコレ先進国のアメリカの、これまたポリコレ最前線のエンタメ・映画業界を知り尽くした大物俳優たるウィルがなぜにあのような公の場でリミッターが外れて暴力に出てしまったのか、それを私なりに整理したいと思う。

「最初ウィル・スミスも笑ってたやん」「奥さんが悲しそうな顔をしたのを見てやべーってなってその後殴りに行ってるじゃん」というような内容の、ウィルに対する批判的な意見をいくつか見かけた。


それこそが、ウィルを暴力に駆り立てたものだろうな、と私は思った。

耐えられないほどの自責の念(羞恥)と、その瞬間的な【責任転嫁】によって爆発した激しい怒り。


もしウィルが自分であのジョークで少しも笑っていなかったら、暴力ではなく抗議で済んだのではないかと思う。

ウィルは奥さんを揶揄したジョークで最初うっかり笑みを浮かべてしまった。


自分は愛する人を貶める笑いに参加してしまった。(奥さんの悲しい顔を見てハッとする)


なんということだ、愛する人を貶める笑いに加担してしまった。恥ずかしい。(羞恥)そんなオレには耐えられない。(心を守るための防衛機制が働く→脳が心を守るために【認知を歪める】)


【いやちがう、オレは加担「させられ」たんだ。】(責任転嫁による強い被害者意識)
悪いのはあいつだ。(怒りの噴出)

という流れなのではないかと思う。


被害者意識は暴力を正当化する。

(ここで言う暴力には、肉体的な暴力だけでなく解釈の独占や強要を含む精神的な暴力を含みます。)

※なにを暴力とするかについては、前の日記で書いたので興味のある方はご参照ください。
https://note.com/kirakiramamama/n/ne9b74ae1b91f


暴力をふるう側は、まちがいなく【加害者】だ。
しかし暴力をふるう側の視点では【被害者】になる。


なぜ暴力をふるったのか、という原因に目を向けると、必ず加害者と被害者は入れ替わる。このパラドックスがとてもむずかしい。


そしてこの矛盾する出来事は、あらゆる暴力の場で起こっている。


暴力のある場所では、それが肉体的な暴力であれ、解釈の独占や強要を含む精神的な暴力であれ、さまざまな被害者意識によるありとあらゆる【暴力の正当化】を目にする。


それには実に色々なグラデーションがあって、即座に「いやそれは過剰防衛でしょう」と言いたくなるほど暴力性が強く正当化が稚拙なものから、今回のウィル・スミスの件のように、「よくやった!痛快だ!」と思わず見た人が賞賛してしまうほどに加害者側の被害者意識に強い引力のあるものまで、色々ある。


それでいけば、怒りというのは、恐怖の二次感情というのを聞いたことがあるのだけど、その怒りにGOサインを出すもの、怒りを正当化して暴力や暴言、解釈の強要などの加害的な態度に駆り立てるもの、それは【被害者意識】なのではないかと思って。


あと暴力の現場で、加害者側の【被害者意識】とセットのように見つかるのが【恥の感情】で。


恥ずかしさ、というものは高度な社会的感情らしくて、私はあんまり理解できないんだけど、(少しずつ感情豊かになってきているので、このままいけばたぶん80歳くらいには理解できる気がする)、恥ずかしさを持たない人はあまり怒らない印象がある。


これは脳のタイプの問題かな。どうなんだろう。たぶんだけど、社会的な感情だから、ずっとぼっちで生きてきて社会経験が少なすぎる私には育っていないのだろうと思われる。これからもう少し人と触れ合って生きていけば、恥の感情も芽生えてくるのではないかしら。


(恥といえば小2の頃、プール授業の時にタオルを巻かないで着替えていてクラスメイトから注意されたことがある。むしろ恥ずかしがる男子にわざわざ見せに行ってたのだとか…逆セクハラ子ども…記憶には無いがおそろしい。同窓会でも言われたのでよほど悪目立ちしていたのだろうと思う。反省。)


私の仮説では、恥の感情は怒りを誘発し、暴力(暴言・加害的な態度)を許可する。整理するとこんな感じ。

・耐えがたい恥の感情(防衛機制による認知の歪み)→ 被害者意識への転換 → 怒り(暴力への許可)


今後この「被害者意識」というものの機能と働きを、もう少し日々の生活の中でアンテナを張って、さまざまな角度から眺めて観察して研究していきたい。可能であれば恥の感情についても。(野生の心理研究員)


最後に、色々と踏まえた上で、やったことは褒められることではないけど、私はそれでもウィル・スミスが好きよ、と思った。こういう人と親しくなりたいと思う。

(あのジョークは最悪に下品だったと、今でも思う。それは本当に。)

もしいつかウィル・スミスに会う機会があれば(ねぇよ)、アイラブユー、次は殴らないでね、と伝えたい。

#写真は前回の記事で使った 【えびせんの剣】に引き続き、三男がえびせんで作ったミルクレープ。舐めては貼り合わせ、ナイフで切り、舐めては貼り合わせ、ナイフで切り、という地道な作業の果てに、三男にしか食せない制作物と相成った。尖り具合のエッジが効いている。(色んな意味で)

#今日のお歌 …【つぶて/作りかけ】さっき投げかけた言葉を無かったことにして。イヤになっちゃうなぁもう。これもずっと作りかけのまま塩漬け状態だからそろそろ完成させたいな。
https://youtube.com/shorts/_Kd9m74118o?feature=share
https://youtube.com/shorts/SnKZ-iWEnew?feature=share


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?