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『パーソナリティ障害』Bookレビュー①

※補足・2011年の出版なので情報がちょっと古い可能性があるのでそれも込みで読んでください。今はパーソナリティ障害そのものに注目するより同じ症状でもトラウマと発達障害の関係性に注目することが多いのかも。複雑性PTSDとかトラウマ治療の記事をよく見かける印象。精神医学にもトレンドはあるし、最新情報をキャッチするのは大切。


さて見事に曇天の土曜日。ネズミくんはデイだし息子らは友達と遊びに行って旦那は仕事だ。頭の中で「くもってくもってく♪」と自作の新曲を鳴らしながらルンルンと本を読む。(掃除しろ)

読みたい本はunlimitedにはなく、unlimitedで紹介される本はネガティブな情報が多くてなかなかBookレビューを書く気が起きなかったのだけど(寝る前にトウモロコシを飾るリスのようにアレコレ読むには読んでいる。履歴だけが溜まる)この本は名前はアレだけど内容はとても前向きでよかった。まだ読み途中なのだけど。

(最近常々思うんだけどAmazonのAI私への評価どうなってんの?お勧め本のラインナップがみんな陰鬱で病んでるんだけど🤣よほど暗い人だと思われてる?てか暗い人に暗い本勧めたらあかんやろ…どんどん沈むやろがい🤣🤣🤣)

さてレビュー。読み途中なので以下気になった箇所のメモ書きとして使う。

「異なる環境で育った七組の一卵性双生児と、同じ環境で育った十八組の二卵性双生児について、境界性パーソナリティ障害の発症の有無を調べたところ、後者には、境界性パーソナリティ障害が両方の子供に見られるというケースが二組あったが、前者のケースでは、両方に境界性パーソナリティ障害が認められたケースは一例もなかったという。境界性パーソナリティ障害には、遺伝より環境のほうが重要であることを示した研究である。」

これ断定するには症例が少なすぎないかしら。そんなに発症するもの?BPDって??

「双生児研究によって推定された、パーソナリティ障害への遺伝的影響の占める割合は、研究によりバラツキがあり、四五~六〇%で、(中略)肥満への遺伝的要因の影響は、約五~八割、IQは六~八割程度、高血圧は八割程度、統合失調症も八割。I型糖尿病が九割弱とされる。それらと比較すると、パーソナリティ障害における環境的な要因の重要さがおわかりいただけると思う。」

うーん、遺伝的な関与が低く環境要素がデカイということか。でもそこまでの有意な差かなぁと思ったりする。まぁこれは一般向け書籍で論文じゃないからな。

少なくとも臨床の専門家が長年の臨床経験とそのための論文研究を通して得た知見をシェアしてくれているわけだから、その辺の素人さんのブログやnoteに比べたら遥かに信頼性がある。しかしその信頼性によっての弊害もあるとも思ったりしている。専門家だって全能ではないし、診察室で見える景色が全てではないのだ。

相手のステイタスによって信頼のウェイトを多少加減しても、最終的にそれを信じるかどうか判断するのは自分だし脳みそを他人に預けっぱなしにしてはいけないとは常々思っている。この辺りが歴代のネズミくんの主治医に嫌われる所以だろうと思う。いやはや。

「子供にとっての環境は、大人が感じる環境とはまるで違っている。幼い子供にとって、親が裕福だとか、大きくて立派な家に住んでいるといったことは、余り重要でない。
  幼い子供は、たいていの物質的な環境は、そのまま受け入れ、適応する。子供にとって、重要な環境とは、いうまでもなく愛情と保護である。その中で子供は、自分が安全に守られた存在であり、より大きな存在と、しっかりつながっているということを、体と心で身につけるのである。この人格形成のもっとも根幹となる過程はおよそ満二歳までに行われる。」

出た脳科学。「◯歳までに〜」理論。これが「〜されるべき」だと親は苦しいがな。二歳までなんて嵐のように日々が過ぎておってもう知らんがな。そんな余裕を持ってキラキラ子育てしてる乳幼児の母なんかおらんがな。(おったとしてもそこには別の闇がありそうで怖いがな)

なんか私の偏見だけど「◯歳までに〜」理論が好きなのって男の人のイメージ…ゲスパーするにその部分(乳幼児期)に【メインで】自分が関わってない層かな。あとは息子を東大に入れたスーパー母ちゃん。いわゆる成功事例。そういう人たちが「◯歳までに〜」を連呼するのを見るとハイハイわかったよアンタはエライ、と思ういつも🤣知らんがな、とも。

こっちはリカバリーの方法が知りたいねん。そんな後から傷口に塩を塗られる話は求めてないねん(謎の関西弁)、いやそういう理論はあってもイイけど、過去の話はサラッとやって、残りは今後の話をしてほしいなぁといつも思う。

ハッキリ言って、本書のこの章はこの後ずっと不愉快な「◯歳までに〜すべき」という記述ばかりが続くのでこういうのが嫌な人はサラッと飛ばして第二章から読めばいいと思う。

さて本書の「◯歳までに〜」理論をとくとくと読んで(大変不愉快だった)、その上で思うのだけど、この本とか色んな脳科学本に書かれているような「完璧な子育て」なんてものは現実には無理で。(言い切り)

その完璧さを目指したりそうではなかった過去を過剰に後悔すると、いま現時点での子育てに【有害な支障】が出る可能性があるのでその中和剤として?私のアホな見解を少し書いておこうと思う。

脳科学の言う完璧な子育ては今の一般的な社会的家庭的リソースでは実現不可能なので、子に問題が出たときにそこを「至らなかった」と気に病むのは無駄でしかないんじゃないかと思っていて。いや、気に病ませるのは、か。そんな風に不安を煽る育児記事は何をしたいのかと不思議に思う。まぁ不安を煽って書籍を買わせるなり幼児プログラムに参加させるなりしたいのか。そういうの嫌だなぁ。

乳幼児期に〇〇をしたら(あるいはしなかったら)パーソナリティ障害になる、じゃなく、すべての人は何かしら「パーソナリティの問題」を持っているとデフォルト設定としてまず【ありき】で受け入れるのが、この人生という名の【無理めなゲーム攻略】としては有効な手立てなんじゃないかと思う。だって程度の差こそあれ現実的に無理だもの、パーソナリティに問題を生じさせない子育てなんて。(きっぱり。)こっちはそんな無理ゲーに挑戦して絶望しているヒマはないのじゃ。のじゃのじゃ。

パーソナリティ障害をよく知らなかった頃(わりと最近)は、【信じられない考え方や振る舞いをする人】として私の中で関わると自分や家族に害悪をもたらす可能性が大きいもの、つまり【悪いもの設定】して、偏見を持っていた。その節は本当に失礼しました。大変申し訳なかったと思う。無知による偏見と差別で、当事者やその周りの支える人たちにとって失礼なことを言ったり書いたりしてしまったと思う。

今もまだ学びの途中だけど、過度に一般化するのはアレかもしれないけれど(この言い方意識高い人みたいでちょっと抵抗あるな🤣)、発達と同じで、要はスペクトラムな障害なのだな、という理解をした。【得体の知れないナニカ】ではなく、【自分の持っている凸凹と地続きのもの】として。

深刻な状況の人からは「一緒にするな」と怒られてしまうかとしれないけれど、色々な書籍や記事を渉猟するに私もパーソナリティの問題は色々持っていることがわかったし、少なくとも「自分ごと」としてとらえるようになった。一歩前進。

ナニカの問題について考えたり発信したりする時に【自分ごと】として捉えていないと、すごく排除的、敵対的、あるいは逆に当事者の苦しみや問題を軽視して、扱いが雑に軽々しくなってしまうというのはパーソナリティの問題で改めて気づいた、自分の表現や考え方に突きつけられた課題だった。人を雑に扱ってはマズイ。

発達の問題は、自分がずっと子どもの頃から抱えていた生きづらさや凸凹が子どもの問題として立ち現れて、そこから内面化されていた問題を客観視と言語化して受け入れたり再度内面化したりして常に【自分ごと】としてあったし、私は当事者としても支援者としても被害者というよりはむしろ加害者側で。だから知れば知るほど負担は軽減したし、精神的には穏やかに適応した。

しかしパーソナリティの問題は、特異な行動をする他者の具体的な事例がまずあって、それによる被害や身近な人から聞く被害報告や被害者の告発ブログという外からのネガティブな情報により、PDの人を取り巻く問題を【自分ごと】として捉えられていなかった。

だから想像上の妖怪のように、よくわからない部分をイメージで過剰に醜く描いてしまったというのはあると思う。そこは本当に反省している。しかし空気の読めない私にとって、空気を操るタイプのPDさんは、下手すると私と家族や周りを巻き込んだ実害が出る可能性がある、とても難儀な相手であるのは確かで。

だからこそ最初心配ですごく身構えてしまったのだけど、知れば知るほどまぁなんというか「個性のひとつだな」と感じるようになった。(被害者の被害を軽んじているのでも当事者の苦しみを軽んじているのでもありません。)

特にPDになった人は生まれつき異常だとか特別な育ち方があったとかではなく、ちょっと感じやすい個性を持って生まれてきて、育ちの中でその感じやすい部分に強い負荷がかかってしまって、生き残り戦略としてPD的な所作を身につけた人々なのだなという理解。

見捨てられ不安とか過度の自己否定とかしがみつきとか色んな地雷があるから付き合う上で注意が必要だけど、ある程度距離を保ちつつ自他境界をしっかり保てば意外といけるかもしれない、という印象。

こうした知見を相手を排除するために使えば問題だけど、相手を理解して共存するために使うのは良いことだと思う。まぁ道具というのは火でも刃物でも使う人次第なのはまぁ原始の時代からそうなんだろうなと。軽んじず正しく理解してきちんと使用する。

道具そのものの功罪を問うより使い方がだいじだなと思うし、使い方によっては危険な知見はきちんと注意書きを丁寧に書く必要がある。そのあたりTwitter文化というかなんでもコンパクトにパッケージする昨今の時流は危険だなと感じてもいる。

それからまぁunlimitedさんが色々お勧めしてきたのもあって毒親関係を読み進めていくと、かなりの確率で毒親の背景にACやパーソナリティの問題があって。ああ、他人事だと思っていたらめちゃくちゃ当事者だったという…てかコレ当事者じゃない人っているのかね?多かれ少なかれ。

その辺りの経緯を振り返るに、やはり偏見や差別は無知が生むのだな、と身をもって感じる。自分に全く問題を感じない人こそ問題じゃないかしらんとパラドックス的なことを考えたりする。

でパーソナリティの問題と脳科学。

やり方次第では【なかった】と思うと「ぐををを!」って床にバッタンコバッタンコ転がり回りたくなるけど、【ありき】であとはその被害を自分にも周りにも最小限にするという生き残り戦略として考えると思考が前に向く。少なくともそこのセーブポイントはもう超えたのでそこから前に戻ることはできんのだし。

そもそも自然界の動物を見ていても「子育て」に「愛情」が必須だとは思えない。(ホラ出たサイコパス)人間界で大問題の育児放棄は自然界ではデフォルト設定であったりもする。キツネでも成体が餌取りに行ってる間、幼体は置いていくだろう普通?(これは私がサイコパスだからか?でも生存戦略というのはその生物固有のものではないと私は思う)

だからみんな【ある】。濃淡はあれども。だから特異な行動や考え方を【異質】として排除するのではなく、「過去になんかあるんかもしれんな」と思いつつ、それ以上親しくなる気があるなら開示されるのを待てばいいし、親しくなる気がないなら、お互いの傷つきや被害が少なくて済むように丁寧に接しつつ距離を保つ必要がある。

「本書で力を注いだのは、周囲にそういう人がいる場合の接し方や、自分自身で克服していく場合の指針について、できるだけ現実に活かせる形で、ポイントや避けるべきことなどについて具体的なアドバイスを記した点である。それは、臨床的な経験から得た知恵でもある。参考にしてほしい。」

よし、今後の展開に期待。
続きはBookレビュー②で。

#写真は 、昨日仕事帰りに業スーにナビで行ったら知らない道を案内されてたまたま出会ったケーキ屋さんにて。「なんでもない日」を大いに祝って記念日はスルーするというわが家のいかれ帽子屋的伝統。この投稿に貼ったのは、なんかこのハロウィン仕様のケーキがぎっちり詰まってる感じが色んな個性の人が押し合いへし合いしてるみたいに見えたから。賑やかで楽しい。

#今日のお歌 …【もくもくも】Cメロつけたしハナ歌バージョン。相変わらずコード進行に引っ張られてサビのメロディーが安定しません🤣
https://youtu.be/vdRumavnHZs

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