夢と本棚
今朝二度寝したら夢を見た。
外出先から帰宅したら私が不在の間に来て終日家を片付けていたらしき母が「こんなんちょっとやったら終いのことを」と言い、私が「もう二度と来ないで」と言って罵り合いになる夢。
これは無意識からのメッセージ?動悸がする…
とりあえず読書会のメンバーが集まるグループチャットのひとつに夢の話を書き込んでみた。フォーカシングとかメンタライゼーションとか無意識領域の話をよくするメンバーだから夢の話を興味深く思うかもしれない。
(一般的には人の夢の話はつまんないと言われているし…あとまぁ母との葛藤はリアルの知り合い(=母とも繋がりがある)の見る可能性のある場所にはあんまり気軽に落とせないので)
その後夢からの連想で名前の呼び方を迷うという話をチャットに書いていて…
「そういう毎度のちっちゃな迷いでイチイチ判断を要するのが、私の中の対人コストを勝手に上げて人と付き合うのが億劫になるのだろうなと自己分析。
判断が苦手なんですよね。常に迷っている。そして物が捨てられない。(これはまた別の話だ)」
ここまで書いて謎に涙がビョッと飛び出て喉が詰まった。
メンタライズすると?、抱えていた秘密を話せて安心した気持ちと「本音を話したら嫌なことが起きる」という葛藤かなと。
特に私にとって「喉が詰まる」身体感覚は明確なサイン(=話してはいけない)だと私は感じている。(涙は扱う感情の範囲が広すぎて意味が定義しづらい)
どの部分が私の無意識の核心【話してはいけない本音】に触れた秘密なのかなと自分と対話してみたところ、
どうも【物が捨てられない】だと思われ。
そういえば夢も母が勝手にものを捨てる内容で。
なんかあるのかな?忘れてるのかな??
しばらくして、
私の心に「母が捨てられない」というワード浮かんで。
浮かんだ途端、涙が止まらなくなった。
現場からは以上です。
追記・
〇〇が捨てられない、と悩むのは「本当は捨てたい」という無意識の欲望(本音)を理性が無理やりねじ曲げて「そうしてはいけない」と押さえつけているからだろうか…?
今度読書会で聞いてみよう。
さてもう子どもが起きてくるし(休日の朝は遅い)、目が真っ赤だと変だと思われるし(ひとりフォーカシングで音もなく滂沱の涙していた…三男は聡い&母子密着だから心配するであろう)切り替えよう。
こういう切り替えの時もフォーカシングが有効なんだよな、たぶん。
深呼吸&クリアリング・スペース!!
(必殺技みたいに言うな)
クリアリング・スペースで心の中に広がっている大きな悩みをコンパクトにするべく頭の中に大きな段ボール箱をイメージしたけど、母の悩み、が黒い霧のようになって入っていかない。
(箱じゃないのかな…?)
そこで前の読書会でうまくいった本棚をイメージしたところ、大きな段ボールの代わりに【母】と背表紙にデカデカと書かれた広辞苑のような分厚い辞書が心に浮かんだ。
辞書を用意したことで、空中に黒い霧のように漂っていた悩みが、文字になって辞書に吸い込まれていった。
黒い霧というか靄(もや…文字通りモヤモヤ)のようなものが辞書に印刷されて消えて、頭にイメージした部屋の中の空気が澄んでいる。
(これは…インクジェット式噴霧印刷?)
出来上がった刷りたての辞書をペラペラめくってみると【母-は】【母-とは】【母と話す-注意点】などと辞書のようにぎっしり文字が書かれていて、字体といい紙の質感といい辞書らしくて笑ってしまった。
さて、膨大な黒い霧を吸い込んだ母の辞書(岩波のごんぶと広辞苑デザイン)を閉じて、コンパクトになったので本棚の目線より少し高いすみに置くイメージをする。ふと
(黒くてすごく圧迫感があるな)
と感じたので、(ちょっと背表紙の色とかデザインを変えよう)と思った。
いかにも広辞苑な黒の背表紙に白抜き文字(紙カバー版)を、灰色の背表紙に赤文字…いや、若草色に金文字…にチェンジしてみた。
そうすると、スゥッと心が軽くなるのがわかった。
あぁ、昔学習机にあった三省堂国語辞典のイメージ…これなら怖くない。ごんぶとで禍々しいオーラを放っていた広辞苑【母】は、若草色の三省堂国語辞典《母》になって、サイズも厚みも重さも(ついでに圧迫感も)コンパクトに。
クリアリング・スペースのやり方として合ってるかわからないけど、とりあえずフワッと心は軽くなったのでヨシとする。
うん。
なんかスッキリした。
深呼吸して笑顔で息子を起こし、朝ご飯と身支度を済ませて外の階段で日向ぼっこしながらデイサービスの車を待ち、スタッフさんと楽しく言葉を交わして見送った。
見上げると、晴れて穏やかな土曜日の空。
(写真は別の日のもの)
おしまい。
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