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【それゆけ!凸凹日記】おおかみこどもの選択肢とタタラ場と支援学校の立ち位置と最後におまけでマツモトトモと

※今日もとりとめなく長いよ。

おざます。実はタイトルは昨日の夜考えたんだけど朝書いてる暇あるかな。

やはりしばらく書く気が失せてソウルソサイエティーに行ってたおかげで、今は書きたい気持ちが溢れてる。魔女の宅急便で画家のおねいちゃんが飛べなくなったキキにした「描けない時は描くのをやめる!」というアドバイスは的確だなぁと改めて思う。

お子さんとの宿題の攻防戦も、コロナ以来苦労している人も多いと思うのだけど、親が必死になってやらせようとすればするほど子どものやる気スイッチはOFFになる気がする。

宿題がなんらかの理由でできないお子さんについての【親の仕事】は、わが子の尻を叩いて宿題をやらせることではなく、宿題をやらせられない不甲斐ない親のとしての自分を対外的にしっかりアピールしてわが子を守りつつ、先生に平謝りしつつ、心の中ではこっそり舌を出しながら、家でサテ子どもとなにして遊ぼうかしらんと思っている、という事ではないかしらん。

一番やっちゃいけないのは、宿題なんてくだらないことのために、子どもを勉強嫌いにさせたり、自分嫌いにさせたりすることじゃないかなーと。

最近私の目に入る範囲だけでも、宿題に追い詰められている親子が多数。子どもも被害者、【親だって被害者】だ。宿題なんてクソ食らえだわ。

このコロナで結局は【弱いものに一番シワ寄せが行っている】この社会のありように珍しくちょっぴり怒りを覚えつつ宿題なんてやらんでいい!とマジレスしたりするんですよ。ふぅ。

怒りで話が脇道に逸れました。で、魔女宅のキキの如くに、しばらく書かなかったおかげで書きたい気持ちが戻ってきた朝日記に話を戻そう。ヒューウ♪(ペコパ)

ホントは朝日記も1日1テーマで程よい長さで読みやすい文章にしたいんだけどなぁ。いつだって私の脳みそは活動停止か過活動の二択なんだ(^^;; 不自由不自由。

昨日見たこともないダンサーインザダークが齎す社会への問題提起と視聴者の断絶についてをお尻から糸を出すスパイダーマンの如くに活写してみなさまにご披露しましたが(もツルッツルの大滑走大事故)、よくよく考えてみたら、無理に未視聴の映画で尻から糸を出さんでも、見た方の「おおかみこども」で考察したらええ話やないの、と昨夜すっかり二度三度自分校閲しでnoteにまで上げ終わった後に気づきまして。(遅かりし左馬助)えぇえぇ。

というわけで表題の件です。

未視聴の人のために、金ローでチビたちに餌付けをしながらCMのタイミングで都度都度勃発する兄弟喧嘩を仲裁したりしながら薄目で見て途中から寝たかもしれないボンヤリとした記憶であらすじを書くと(ダンサーインザダークとそう変わらない可能性)…

オオカミ人間と恋をしてお子さんを授かった女性が、双子のおおかみこどもの兄弟(兄妹?姉弟?)を産み、シングルマザーで子育てする。

途中から兄弟にオオカミの本能が芽生え、田舎特有の閉鎖的な差別や偏見の目に苦しみながら、最終的に女の子の方は本能を抑えて人間として人里で生きる道を、男の子の方はオオカミの本能に従ってオオカミとして山へ還る道を、それぞれに決断する、というストーリーだった気がする。

(確証はない…正しいあらすじが気になる人はTSUTAYAでDVD借りるかなんとかプライム的な配信サービス見るか、あらすじだけググってWikiで確認してくれ)

この作品について、オオカミの本能がまぁ現代社会における発達障害を暗喩しているのではないかという見方ができるわけだけれども。

ちょっと話が脇道に逸れますが、もっと直接的にオオカミ人間と発達障害を比喩として結びつけた作品に、「ダンジョン飯」で大ブレイク中の私の大好きな漫画家さん…名前なんだっけ?…の作品があります。

(この方の超ファンです。たぶん単行本化されているこの人の作品は全部保有して読んでる。でも作家の名前は覚えられない)

作家名はまぁいいや、(いいのか?)、この方の確か初期の頃の短編集の中に、確かオオカミ人間の作品があったはず…作品名なんだっけ?(ひとつも役に立つ情報が存在しない)

まぁ今時間がないので後で思い出したら追記します。知ってる人いたらコメ欄で教えてくださいぜひ。(作家名かろうじて思い出した、九井諒子さん。オオカミ人間の話が収録された単行本名はちょっと分からん。なんちゃらの竜の学校だったか引き出しにアクアリウムがどうのだったか。)

追記・友人が教えてくれました。作品タイトル「狼は嘘をつかない」。単行本「竜のかわいい七つの子」に収録。ありがとーーーう(私信)

もうね、九井諒子さんの作品は全部が全部オススメなので、子育てに疲れたらぜひ読んで欲しい。最初は短編集が良いです。ダンジョン飯以外は全部短編ですが。絵が、デッサンが、神のように上手い方です。

で、類似漫画から話を戻して映画の方のおおかみこども。人里で本能を隠して人間として生きるか、人間との関わりを全て絶って、オオカミとして山でオオカミと同じ生活をするか。

すごく極端だなーと思いました。

これってオオカミの本能を発達障害に例えるとすごく身近なんですが、人里=普通学校に通いたかったら個性(オオカミ部分)は認められず隠して生きるしかなく、山=支援学校へ行けば、窮屈な思いをせずオオカミとして伸び伸び生きられるが、人(定形発達の人々や人間社会)とは断絶させられる。

こんな二択って世知辛いや。

そこでタタラ場ですよ。ソナタ(大犬っ娘のサン)は山で、私はタタラ場(人間社会)で、ともに生きよう。という。

タタラ場はもちろん人間社会ですが、境界線上の場所で、会いに行ったサンを拒絶しはしない。サンの個性にも手出しはしない。私の中では支援学級の、もうすこし発達特性に沿った野放し版、という感じでしょうか。

支援学校への進路を決めるとき、親が最も悩むのが「社会との断絶」ではないかと思います。わが子の断絶もそうだし、子どもを通じた我が身の社会とのつながりの断絶こそが本当に恐ろしい。

障害を持った子どもに適切な支援が受けられて、それでいてゆるやかに社会との繋がりを維持できる場所…タタラ場が現実社会にも必要だな、と思います。

さてとは言え名案があるわけではないのですが。タタラ場…非常に難しい問題なんです。少なくとも、現状の、障害者に健常者(この言い方はちょっと嫌かもしれませんがあえて使います)が【一方的にしてあげている】という関係性ではタタラ場は成立しないと思います。

障害者とその家族の側が、一般の社会に向けて何をギブして行くことができるのか…そこが2つの世界の境界線としてのタタラ場の実現には必要だなーと思います。いでよ、シシガミ様❣️

うーん難しい。しかし避けては通れない問題なので、これについては今後もネチネチと考えていきます。

さて最後のおまけ。マツモトトモについて。これはダンサーインザダークとは別の友人と昨日やりとりしていて、雨の日に合ったピアノ曲、という話題から発展してたどり着いた、おすすめの漫画です。

えっ!キス知らないの??私の中で音楽漫画の金字塔なのだけど…たしかに知名度はのだめカンタービレに比べるとだいぶんマイナーか…。雨の日に聴きたいピアノ曲でサティーのジムノペディとかシューマンの子どもの情景が思い浮かぶ人はきっとこの作品が好きだと思うなぁ。

しっとりと詩情あふるる漫画なのよ。今となっては絵がちょっと男性に肩幅がありすぎでバブリーで古いけど、当時にしたら超スタイリッシュだったのよ。今でも十分女の子の描き方は今風で新しいのよ。ぜひいつか読んでみて❣️

この作品は漫画本編よりも、おまけページがおすすめなのであります❣️

作者のコラム的に珠玉のようなジャズの名曲とか、読んだだけでもう聴きたくていてもたってもいられなくなるマツモトトモさんの感性のフィルターを通して聴いた曲解説が、素晴らしい筆力で書かれていて、このコラム欄だけムック本で出して欲しいくらい…歳とるとちっちゃい文字は本当に読めなくなってくる…老眼って怖いね…

ふう。思うさまマツモトトモのキスについて熱く語ったところで最後に宣伝を。

雨の日の名曲とごくごく一部で評される(当社比)我らがほっこりはんのオリジナル曲「雨の日のうた」は、不定期で雨の日にYouTubeのリンクを貼るので、いつかの雨の日の朝日記を覗いてみて…運が良ければリンクが見つかります🤣(わかりにくい宣伝)

しばらく曲作ってない…そろそろなんか作りたい…コロナコロナで新曲作っても発表する場がないけど…はっ!ネットか。にょーーーん。(無意味な間投詞)

#写真とか
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1273037230089502720?s=21

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