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SNSでの「自分のこと分かってくれてる病」の危うさと、その振り返り。

ゆるく、ゆっくり生きようと思って実践していると、実は時の過ぎるのが早い。

去年の春分にnoteで配信再開した「のんらじ~耳から効く言葉のおくすり~」という音声note。
自分の調子と相談しながら次の配信をしあぐねていたら、なんと、もう、次の春分の日が来ようとしている。

まる1年。
まる1年のなんと早いことよ。

これはある意味、自分と相談しながらペース配分していたら、「次」なんて一生来ない、みたいな感じがする。
たぶん、タイミングは沢山あった。
あ、これ話したいな、伝えたいな、って思った事沢山あった。

なのに、やらなかった。
二の足を踏んでいた。
それは、なんでだろう?

そこで、自分の中で明らかになってきたのが「自己開示についての疑問がわいてきた」っていうこと。

これは、今まで自分が自己開示しながら発信してきたことについて、ぶっちゃけ、「そんなことする必要って、ないんじゃないかな?」って思うようになったってこと。

私はながらく自己承認欲求を、外部受注生産してきたので、自己開示を発信しつづけることで、「いいね」や「コメント」をもらうことで満たしてきた。

それが、去年一昨年あたりから、自己承認欲求の自社生産が可能になったたため、外部生産がなくても、十二分に、「あ~しあわせだなあ」と、日々を積み重ねられるようになってきた。
だこそ、湧き上がった疑問といえる。

私が、まだ「鬱が治った」と思っていて「双極性障害Ⅱ型」だという事に気づいていなかった頃、それはそれは猛烈な勢いと濃度で自己開示していた。

有りがちだけど、自己肯定感が飛びきり低くて、自己承認欲求がすこぶる高かったので、SNSで自己開示発信することで、いろんな人から「いいね」「コメント」をもらい自己承認欲求を他者によって満たしてもらっていた。
なので、どんどん、いつでも、どこでも、どこまでも、とにかく発信しては反応が欲しくてしかたなかった。

どうしてそうなったかの始まりは、鬱状態が少し落ち着いてきたころに自己啓発の世界に足を突っ込んだことによる。
あれよあれよという間に、単発セミナーや講演だけでは飽き足らず、ものすごく高額な所謂「認定講師」になるまではまり込んでしまったことにある。

そこには今までの自分にはなかった学びが沢山あったし、私の「先生」は、自己啓発界隈では比較的良心的で医療に従事するまともな先生だったので、今も生きて実社会生活を維持できている気がする。
先生の人柄や実績もあり、そこに集まってくる人たちもとてもまじめできちんとした人が多かった。社長とか医者とか、割と実生活の土台がしっかりしている人たち。

この「比較的きちんとした人たちが集まっていた」というところには本当に感謝している。この頃得た人との出会いは、今の私を支えてくれていてとても大切なものになっているから。

風向きが変わったのは、先生のプロデューサーが前面に出てきてからだ。
先生のプロデューサーは、2020年現在もその世界を生き抜いている人で、プロデューサーとしては何流なのかはわからないけど長けている人なんだと思う。よく、1流の〇〇とかいう本をプロデュースしている。笑える。

長けているというのは、その世界で売り上げを上げ続けている事実からも分かるけれど、その売り上げの中には、情報弱者と呼ばれるタイプの人たちがなけなしの貯金をはたいたり、高額なローンを組んで苦労している人たちのお金が含まれている。破産しちゃったり、借金が元になって生活破綻した人を何人も知ってる。だからそのプロデューサーに対していい気持ちがしない。

幸いにしてなのか、私は、なけなしの貯金をはたいたりローンを組んだり破産しそうになったりしながらも、しっかりとした本職があるので、現在もローン返したりしながらなんとか実生活を続けられているしぶといタイプです。はい、しぶとく生きてます。

このプロデューサーからいろんなことを学んだ頃は、まだ「インフルエンサー」も「youtuber」も一般的ではなかった。
このプロデューサーは、自分の所に集まった人たちの中から、「インフルエンサー」「youtuber」を生み出したかったんだろうし、私も「そういうもの」になりたかった。

この「がんばり」を続けていれば、「そういうもの」に私はなれるんだって信じてた。怖い。

とにかく、自分のファンを作れ、とその人は言い、それにはすべてをさらけ出せとも言われていた。弱い所やダメなところ、そういう所もさらけ出すからこそ、共感を得てファンができる。そしてお金は使わないと入ってこない、どんどん使えとも。
とにかく毎日フェイスブックやブログを更新し、ユーチューブでチャンネルを作れと言っていた。一生懸命な私は、それをやっていたし、やっていることで充実感があったし、ありがたいことに「応援してくれる人たち」もいてくれたので、自己承認欲求は他者によって満たされまくっていた。

フリーターのような事をやりながら、「鬱が治って元気になった!」を売りに、いろんな地方に出かけて行ってはお茶会、講演会、セミナーをやっていた。
お金なんて全然儲からないし赤字になってエポスのATMにお世話になりまくっていた。借金の総額は怖くて計算できなかった。でも、そういうのは隠して、にこにこキラキラ、続けていた。
地方新聞にも載せてもらったし、地方のラジオにも出た。

このころがむしゃらにそういう事をできたのは、自分で気づいてなかったけど「完全なる躁状態」だったからだ。

自分のやっていることに絶対的な自信があった。今思うと本当怖い。

自分が躁状態だとわかっていないから、ものすごいパワーで無茶なことが出来て、あふれ出るアイデアはすべて光り輝いて見えたし、形容しがたい万能感が常にあった。

自分って、すごいんだ、って。

youtubeは顔出しが怖いからと音声に切り替え、podcastを作った。
そのpodcastはなんと医療ジャンルで1位を取った。全ジャンルでもディズニーやら茂木さんやらいろんなものを抜き去り、どんどん順位が上がっていくあの興奮は今でも体が覚えてる。

自分が「何者か」になってゆく感覚。

そのまま突っ切っていたら、流行りのというよりすでに廃っている「教祖系ビジネスの教祖」のひとりになってたかもしれないけど、躁状態が終わり、力尽きた。

力尽きた後は、果てしない鬱状態。
借金があるから仕事は続けていたけど、精神は死んでた。
でも
それに気づいていた人はほんのひと握りだけ。

ほんと、力尽きて良かったなあと思う。
力尽きた事で、改めて自分と向き合い、明らかにでき、正しい現在地を把握することができた。

さて、長くなってしまったけど、ここで先ほどの「自己開示に対する疑問」である。
私が長い躁状態の時期に発信していたことは、今となってはほとんどが「穴があったら入りたい」レベルの出来事。
youtubeとpodcastは消した。

このSNS発達社会により、いたるところで当たり前に行われる自己開示。
私はこういう考えです、こういうことをしてます、好き、嫌い、大好き。
そういうのを発信していると誤解するのだ。

「みんな私の事をわかってくれている」

この、「わかってくれている」というのは、いいねつけてくれたりしていると「同意してくれた」「わかってくれた」と思ってしまうのだ。

ただの付き合いで、通りすがりにいいねを押してくれただけかもしれないのに、自分のことを「ちゃんとわかってくれている味方」みたいに思ってしまう。

いい時はいい。みんな味方。お友達。
でも、過去が「恥ずべきもの」になってしまった場合、それをもすべて「知られてしまっている」になってしまう。

双極性障害Ⅱ型と分かって、あの頃の自分の、躁状態の自分のやっていたことを振り返ったとき。
とにかく恥ずかしくなった。

あんなにテンションが高くて、みんなが自分のこと大好きでいてくれて、私もみんなの事大好きだから、私がいるだけでみんなハッピー!みたいな感じ。

そんな感じでたくさんの人と会い続けていた自分が冷静になったとき、「絶対、みんな、こいつやべーな!って思ってたに違いない!!」と思った。

それがとてもとても恥ずかしかった。
穴があったら入りたいけど、穴に入っても、過去は消せない。
人の記憶はデリートできない。

中庸なレベルでの冷静ではなく、振り戻しの超鬱状態の自分からの冷静だから、よけい、ショックだった。

ここで、いったん、かなり落ち込んだ。
誰にも会えない、会いたくない。
SNSはストップ。見ない、書かない。

タイミング的に東京を離れたのもよかった。
ただひたすらに、自分を見つめ、粛々と日常生活を送る日々。

その、粛々とした日常のなかで、「鬱が治ったんじゃなくて、双極性障害Ⅱ型だった」ということが分かった。
それを認められてから過去を振り返ったら、違う視点が持てた。

私が勝手に「わかってくれている」と思っていた人は、「それほど私をわかってくれているわけではなかった」ということ。

これ、昔の自分だったら「わかってくれてると思ってたのに!!」って、被害者モード入っちゃうかもしれないけど、これがとても救いになった。
「私の躁状態の異常さが、あんまり人にバレていない」という嬉しい誤算。

一部、とても親しくしている人たちは、SNSだけじゃなくて生身の私や、ラインやメールでもっと細かな変化を知ってくれているから、そういう人たちは双極性の危なさも含めて分かってくれている。

そうじゃない人にとっては、ちょっとテンションが高い、何やってるのかよく分かんないけど、楽しい人、位に思われている事がわかった。

そして、躁状態の私がいろんな人に会って、話かけていた言葉たちが、なんと、その人たちの中で生き続けていて、夢を叶えたりしているのが分かった。

ある人は、あの時ものすごく簡単そうに「〇ちゃんならできるよー、大丈夫だよ!」って言ってくれたから、私にもできる!と思って実現できた!と教えてくれたし、躁状態でアイデアがあふれて止まんなくて何時間も話したことをいくつも実現させてくれいる人もいて、「あの時はありがとう」って言ってもらえた。

確かに私は完全なる躁状態で、テンション高すぎるちょっと変な人だったかもしれないけど、そこには嘘はなかった。

良いと思ったから良いと言ってたし、あなたなら出来ると思ったから出来ると言って、大丈夫と思ったから大丈夫だと伝えた。
かけた言葉にも、書いた言葉にも嘘はなかった。ただ、躁状態だっただけで。

だから、ちゃんと届いてたんだなって。
全体を通してみるとやっぱヤバいやつだったけど、あの日、あの時出会った人たちは、その一瞬を切り取って心にしまってくれていた。
だから、久しぶりにSNSに戻ったら、たくさんのひとが「おかえり」って言ってくれて、実はこうだったんだよー、ってちょっと甘えたら「そうだったんだね」って受け入れてくれた。と思ってる。

だから、勢いに任せた自己開示や、いいねやコメントなど、承認欲求を満たすためにむやみやたらに何かを発信するのはとても危ういことだと思う。

そして、みんなが「自分の事を理解してくれている」と誤解してしまうことはとても危ない。
そんなことは、あり得ないのだから。

でも、そうじゃない自己開示や、伝えたいことを伝えるという事は、自分にとってとても大きい事、大切なことだと、改めて分かった。
だから、続けていきたいし、もっとたくさんの人とつながっていきたい。

疑問がクリアになり、躁鬱の波も把握できるようになり、こうやって長文を書けるようにもなった。

鬱の時ってほんと文字読めないし書けない。
躁の時に書いてることなんて危なっかしい。
この、両極を俯瞰している自分が常にいるようになり、安心して気持ちを伝えられるように思う。

noteでも、割と古い記事に、今でもぽつんぽつんとハートを付けてくれる人たちもいて、ああ、読んでくれてるんだなあ。ハートを付けてくれたんだなあ。と心があったかくなる。とても、嬉しい。

いつか、どこかで、この記事をたまたまかもしれないけど、読んで、なんか、心にひっかかってくれたら嬉しいし、「あの頃」よりもう少し冷静な状態で、自分にとって大事なことを文字にできると思う。言葉にできると思う。
今はまだ、上手なペースがつかみきれていないけど、ぽつぽつでいいから、続けていこうとおもう。

こんな風に突然長文かもしれないし、割とまともな量とペースでしばらく続くかもしれない。
これは「仕事」ではないから、「やりたいこと」なだけだから、自分のペースでいいんだ。
そして、すべてを見せる必要なんてない。必要と思った部分と量だけでいい。自分と相談しながら。

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