上司に片思い



東京駅の八重洲地下街にちょっと暗いアップルパイ屋さんがある。
私はそこで失恋した。

別にその日、その店でデートをしてたわけではない。
その店で、私は同期と後輩から、好きだった人が結婚することを聞かされた。

始まりは、まだ私が新入社員で、支店に着任したその日。
初日の挨拶で前に立った時に、目に飛び込んできた高い位置にあるくすんだ赤いネクタイ。目鼻立ちがくっきりしてちょっと顔が疲れてる男の人だった。
新入社員に大した興味はなさそうなのに、目だけはしっかりこっちを見てて、社会人の義務とめんどくさいが入り混じった、大人な表情にこちらが目が離せなくなった。

当然の結果で、あっという間に私は一目惚れした。

今考えると、他の人も同じような表情をしてたんだろうし、大人な表情と思えたのはただ単に顔がかっこよかったからだ。この時代、私の好意の度合いは相手の顔に比例した。

一目惚れする若さは恐ろしく、びっくりするほど何も気にしていなかった。
社会人としての立ち振る舞いも、恋愛にうつつを抜かす新入社員がどう思われるかも、ちょっと考えれば良かったのかもしれない。
でも、仕事を覚えるより先に、とりあえずあの人の名前が知りたかった。

忘年会の機会が増える頃、わかったことは、役職がついたばかりの7歳上で彼女はいないということ。錦糸町のエレベーターが無いマンションに住んでること。たまに銀座で同期と一緒にナンパしてること。昔は社内恋愛をしてたということ。

社内恋愛で一筋縄ではいかないことはわかっている。
自力でダメなら周りから固めよう、そう思った当時の私はなんて浅はかで幼稚だったんだろうか。

ご想像の通り、その作戦は大失敗で、
その人からは「立場があるので交際は難しい」と、真冬の寒い中、はっきり振られた。
渡せなかったチョコは、やけ酒に付き合ってくれた先輩達のお腹に収まった。せっかく銀座のジャンポールエヴァンで並んで買ったのに。

その後もなぜか私は諦めなかった。
ここまで読んで貰えばお分かりの通り、私は非常に思慮浅くて、単純で、ポジティブ。

もっと仕事をして早く同じ立場になればいいじゃないか。新入社員だからダメなのか、仕事で認めてもらえれば付き合えるんじゃないか。
そんな斜め上の発想で、仕事に精を出した。
元々、向いている類の業務であったことも幸いして、評価は上々だったが、相変わらず恋愛の成績は低迷を極めた。

もちろん、その人だけを好きでい続けられるほど、心は強くない。合コンに行き、アプリをしながら、彼氏と言う名の相手を作り、そのうちに終わったりしていた。振り向いてくれないその人に勝手に憤りを感じて、寂しさを紛らわせる活動は、あんまり素敵なものではなかったと今は思う。

そのうち、同じ職場だからダメなのか、転職したら付き合えるんじゃないか。
そんな斜め上の発想で、転職活動を始めた。

ちなみにここまでで、LINEの交換すら出来ていない。
あるのは会社の連絡網だけ。
方向が逆だから、帰り道も一緒になったことはない。
飲み会で隣に座るだけ。
参加することを期待して二次会の呼びかけに手を挙げるだけ。

アプローチはするものの、毎度うまくかわされる。
完全に脈なしの典型だけど、当時は「社内恋愛だからだ」と本気で思ってた。

2回目に振られたのは、転職後、本格的な夏が来る前で、元職場の飲み会にお邪魔した時だった。

連絡先を知らない私がアプローチできる機会は限られていたから、背水の陣の気分で、その3日前から「決戦は金曜日」をiPhoneでリピートした。
(たしかに飲み会は金曜日だった)

帰り際に、薬局の蛍光灯に照らされながら、一度デートしてくださいと伝えた。よく言った!頑張った!

一瞬、時間が止まった後で、

もったいないよ、俺なんかよりもっと良い人がいるよ、と流された。華麗すぎるスルーパス、尚、パスを受け取ってくれる人はいない。

ダメだったのは蛍光灯で顔が盛れてなかったからかな?と変換しかけたけど、さすがにここまでくると振られたのは明白であった。


その1ヶ月後、私はアップルパイ屋さんで、追い討ちをかけられて、ついにその恋から手を離したのである。
(諦めが悪すぎるとも言える)

その人が結婚した相手は、社内恋愛で。
私の身近な先輩(仲が良いわけではない)にあたる人だった。
細くて折れそうで、いつも憂鬱な、不幸そうな、良く言えば儚げな顔をしている女性。
その先輩のことは元々好きではなかったけど、ちょっとここで愚痴を言うのは私のプライドの為に、やめておきたい。

ああ、あの日、蛍光灯の下で私が勇気を出した告白の時には、既に勝ち目なんてなかった。勝負はついてた。何が決戦は金曜日だ、戦いにすらなってないじゃないか。
社内恋愛だからって自分に言い聞かせてたことが、拠り所としてた理由が、急に根底から覆ったのは、とても痛かった。

その日、夢見がちで浅はかな自分を呪って、シャワーと一緒に泣いた。

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