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紫光は星空の彼方へ 二章 2話

 昨夜逃げた第三種生命体と、目の前にいる火野雪路。その二つが紫の中で繋がろうとしていた。何故そう思うのか。紫自身にも分からない。楽観的な思考。余りにもタイミングが良すぎる展開に、戸惑いながらも雪路の話に耳を傾けていた。
「俺はね、昨夜、女の人が殺された映像を、この目で見ていたんだ」
 雪路が示したのは自分の瞳。磨かれた御影石のように真っ黒に輝く瞳には、虹色メッシュが僅かに乱れた、嬉しそうに頬を緩めた紫の顔が写り込んでいた。

 セリス邸の地下には、広い訓練室が設けられていた。やけに天井が高く、だだっ広いだけの殺風景な部屋。壁も天井も、全てが白一色で塗り潰された世界に、三人の人物がいた。
 カルトに麟世、そしてセリス。
 白い手袋の感触を確かめるように拳を握りしめたカルトは、訓練室の中央へ歩み出た。
 白地に赤い裏地のマントが、照明に反射してキラキラと輝く。今日のカルトは、中世ヨーロッパの絵画の中から抜け出してきたような出で立ちだった。赤い長袖の上に青い半袖を身につけ、その上に開襟の白い長衣を身につけている。下半身にフィットするズボンも白く、膝下までのブーツを履いていた。
 紫と違い、普段着としては絶対に身につけられない衣装がカルトの仕事服だった。
「いいことカルト、油断するんじゃないわよ」
 セリスが声を掛けながら腕を一振りすると、部屋の中央に結界が張られた。青い光によって、カルトと外界が隔絶された。この結界の中ならば、どれだけカルトが暴れても外に影響はない。
「カルト君! 頑張って!」
 麟世の声を背中に受け、カルトは小さく頷く。
 緊張で口の中がカラカラに乾いていた。いつもより心臓の鼓動が早く、手足は他人から借りてきたかのように余所余所しい。グレモリーは、カルトがこれ程までに緊張を強いられる相手だった。
 「ミリオン!」と叫び、マクシミリオンを手にしたカルトは、空を切り裂き召喚の五芒星を描き出す。二メートルを超す五芒星の中心部には、グレモリーの印象が浮かび上がっていた。描き出した印象の光が強くなる。強大な龍因子が魔方陣から発散された。
「来た………!」
 カルトは唾を飲む。
 凄まじい龍因子の奔流がカルトの体を突き抜ける。グレモリーの印象が消え、代わりに闇が生まれる。闇の縁からは炎が溢れ、黒い邪悪なオーラが漏れ出してくる。
 纏っている簡易結界が反応する。まだ相対していないというのに、簡易結界が反応する。普通の人間ならば、この気に当てられるだけで発狂してしまうかも知れない。カルトは力強い眼差しで闇の中を睨み付けた。
 闇の中から巨大な一瘤駱駝が躍り出てきた。文字通りの気炎を吐きながら、一瘤駱駝は激しく首を上下させた。駱駝の背中には、黒いショールを頭から体にかけたグレモリーが両足を揃えて斜めに乗っている。
 ショールの間から覗く褐色の顔は妖艶で、紫色の唇は不敵な笑みを浮かべている。不遜な瞳は真紅で、自らを呼び出したカルトを値踏みしているかのようだった。
「カルト君! 油断しないで!」
 背後から麟世の心配そうな声が聞こえてくる。まあ、それも無理はないだろう。相手はあのソロモンの霊。紛れもない上級悪魔だ。
「カルト! せめて瞬殺だけは避けなさい! 生きていれば私の魔法で治してあげられるから」
「負けること前提ですか……」
 しかし、セリスの言う通り、グレモリーは予想していたよりも強そうだった。目の前に立つだけで凄まじい威圧感を感じるし、体から溢れ出る龍因子は今まで戦ったどの悪魔よりも強大だった。何よりも、初めて間近で見る一瘤駱駝にカルトはびびっていた。
(一瘤駱駝って、一つ目で角が生えていたっけか?)
 この駱駝だけでも、カルトと良い勝負をしそうな感じだ。カルトは威圧されている自分を鼓舞すると、グレモリーに負けないだけの龍因子を放った。体中の龍子が活性化し、力を漲らせる。第三種生命体を遙かに上回る龍因子を持つ、それがカルト・シン・クルトだった。
 結界の中に龍因子の嵐が吹き荒れた。カルトとグレモリーの間に停滞している空気が圧縮される。カルトの龍因子に押され、駱駝が嘶きながら一歩後退する。
「問題ないですよ。有名なソロモンの霊と言っても、所詮はマイナー悪魔のグレモリー。たった二六の軍団しか従えていない侯爵が、そんなに危険なはずはない!」
「そんな危険なはずはないって………」
 麟世は心配そうに眉間に皺を寄せる。
「どっかで聞いたわね~、そのフレーズ。明らかな死亡フラグね」
 セリスは溜息をつくと、困ったように米神に人差し指を当てた。
「見てて下さい、先生! 麟ちゃん! あのショールを引っぺがして、ヒーヒー言わせてやりますよ!」
 「行くぜ!」と叫んだカルトは、マクシミリオンに青い雷光を纏わせると、グレモリーに飛び掛かった。

 一〇秒後

「クソッ! なんだってんだ……マジでいて~……!」
 カルトは血反吐を吐いて床に横たわっていた。
 グレモリーの乗る一瘤駱駝が巨大な口を開けてカルトを噛み砕こうと迫ってくる。
 カルトは寸前の所で横に転がり駱駝の顎を躱すと、堪らずグレモリーから距離を取った。
「カルト君! 無理しないで!」
 麟世の声援に頷く余裕すらなかった。
 カルトは自分の体を確認する。とりあえず五体満足、骨折などは見あたらない。胃袋の中に血が混じり、常に吐き気がする。グレモリーの初撃で内臓の一部が深刻なダメージを受けたのだろう。左手でレライエの印象を描くと、それを体に押しつけた。傷を操るレライエは、傷口を広げたり出血を止めたりする事ができる。カルトは、後者の力で応急処置を施した。
「チッ、どうなったんだよ。マクシミリオンは確実にグレモリーの首を凪いだと思ったんだけど……。なかなかやるじゃないか…!」
 口元に笑みを浮かべるカルト。そんなカルトに、「開始一〇秒で倒された奴が、笑っているんじゃないの!」と師から叱咤が飛んだ。
「俺は戦いながら、相手の力を計るタイプなんですよ!」
 口から血の塊を吐き出しながら、カルトはセリスに返した。白い長衣が吐血により赤く染まりつつある。
 カルトが斬りかかった瞬間、マクシミリオンが纏っていた魔法が搔き消えてしまった。近接攻撃の為、簡易結界で阻まれたと言う事はない。しかし、マクシミリオンから力が消えてしまった事は確かだ。そして次の瞬間、カルトは激しい電気ショックを受けて吹き飛んでいた。
 ほんの僅かな交錯の瞬間、グレモリーがわずかに手を挙げたことだけは理解できた。しかし、どうやってカルトがダメージを受けたのか、そこまでは確認できなかった。
 動きを見せないカルトに対し、グレモリーは驚くべき早さで近づいた。いや、グレモリーを乗せた駱駝が近づいてきた。
「魔法剣・紅蓮!」
 真紅の炎を纏ったマクシミリオン。
 駱駝が前足で踏み潰そうとしてくるが、カルトはそれを紙一重で躱すと、翻ったマントを駱駝の頭に巻き付けた。紅蓮を帯びたマクシミリオンで、視界を失った駱駝の首を切り落とす。更に返す刀で前足二本を薙ぎ払った。マクシミリオンが切り裂いた傷口から炎が巻き起こり、駱駝に乗っているグレモリーも包み込んだ。
 近接戦闘で最強と言われる魔法剣。斬りつけた相手を剣に帯びた魔法が追撃する。その効果は、受け止められたとしても発動し、回避不可能な攻撃として相手に届く。しかし、それはあくまでも実力が互角の場合。若しくは、相手に特殊な能力がない場合だ。
 崩れ落ちる駱駝。炎に巻かれつつも、グレモリーはその手を振り上げてきた。いくつもの光が生まれ、そして放たれる。
「フィールド!」
 龍因子を純粋なエネルギーに変化した結界は、カルトの周囲を高速で回転し攻防一体の障壁となった。グレモリーの放った光は、フィールドの上面を滑るようにして後方へ流れていく。

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