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LAST YEAR→NEW YEAR

 無数の鳥居が螺旋を描きながら淡黄(たんこう)色の空へ続いている。

 浮遊するいくつもの巨石の上を、学生服の上に着物を引っかけた少女が飛ぶように奔っている。

 ボリュームのある唐茶色の髪に大きな朱(あけ)色の瞳。大きく靡く紫紺色の着物の下には、抹茶色のニットにミニスカート。女子高生というには、成熟した体を持つ少女、湖ノ葉(このは)は「やばい…!」と呟きながら淡黃色の空に昇っていく。
 宙を蹴り、螺旋の鳥居を潜る。
 大きく曇りの無い瞳に映るのは、彼方に見える一際大きな巨石だ。

 タンッ!

 息を弾ませ、湖ノ葉はもっと強く宙を蹴る。
 スピードが増し、彼方に見えていた巨石があっという間に近づいてくる。
 巨石の上には、深紅の鳥居と大きな社が建っていた。萌葱色の苔で覆われた屋根、黒く変色した壁。かなりの年代を感じさせる建物だったが、純白の障子は張り替えられたばかりのようだ。
 参道の石畳の上に、淡藤色の髪をした少女が立っていた。
「遅いわよ、湖ノ葉」
 湖ノ葉が巨石の上に到着すると同時に、神経質そうな声が掛けられた。
「ごめん、学校が長引いちゃって。今日で最後だから」
 湖ノ葉は笑うが、青い瞳の少女、雨柳(うりゆう)は表情一つ崩さず湖ノ葉を見つめる。
 ラフな格好の湖ノ葉と違い、雨柳は青磁色の着物をしっかりと着付けており、雪のように白い手を胸元で組んでいる。
 雨柳は溜息をつきながら、腰に付いている大きな栗毛色の尻尾を不機嫌そうに振った。
「雨柳ちゃん、そんなに怒らないでよ。ギリギリ間に合ったんだしさ……」
「本当にギリギリだ。直に年も明けるというのに」
 雨柳は溜息交じりに答える。彼女は『午』を司る精霊だ。対して、湖ノ葉は『未』を司る。長い髪の影から、渦を巻いた角が見え隠れしている。
「そうせこいこと言わないの。すぐに交代するから」
 言って、湖ノ葉は雨柳の後ろにある社を見る。
「じゃあ、後は頼んだわよ。中の準備は整ってるみたいだから。あ~、疲れた……」
 雨柳は湖ノ葉の肩に手を置くと、嬉しそうに尻尾を振りながら巨石の縁から飛び降りてしまった。
「よし、来年は私の番だ」
 湖ノ葉は社に向かって歩き出した。と、社の影から一人の少年が飛び出してきた。
 紅顔の美少年。気の弱さを象徴するような垂れ目に、目と同じように垂れ下がった耳、その少し上には、湖ノ葉と同じように羊の角がある。
「姉上様……!」
 涙を浮かべた少年がトテトテと小走りに駆け寄り、湖ノ葉の腰にワシッと抱きついてきた。
「加座丸(かざまる)……! どうして此処に? ここには来ちゃ駄目だってあれほど言ったじゃ無い……!」
 湖ノ葉は腰をかがめて加座丸に視線を合わせると、ギュッと抱きしめる。
「だって……! だって……! 姉上様、社に入られてしまうし……」
 加座丸は小さな手で湖ノ葉の着物を握りしめた。
 愛おしい弟を、湖ノ葉は強く抱きしめる。加座丸の頭に頬を当て、髪の匂いを胸一杯に吸い込む。心が安らぐ太陽の香りだ。
「仕方のない事なの。十二年に一度、必ず誰かがやらなければいけないことなの。今回は私だったけど、次は加座丸かもしれないわよ」
「僕、嫌だよ! 姉上様と離れたくない!」
 加座丸は嫌々するように頭を振る。それを見て、湖ノ葉は溜息をつく。
「私たちが祈り子になることは、名誉なことなのよ。加座丸も分かるでしょう?」
「でも……でも……」
 しゃくりを上げて加座丸はこちらを見つめる。大粒の涙が加座丸の赤い頬を伝い、顎先から落ちる。
 加座丸の泣き顔に、胸の奥が熱くなる。指先で涙を拭った湖ノ葉は、そのまま両手で加座丸の頬を包み込んだ。
「一年なんて、あっと言う間よ。良い子にして待っていて」
「………うん」
 これ以上涙を流さぬよう、歯を食いしばり、加座丸は力強く頷く。その姿が、また愛らしかった。
「じゃあ、行ってくるから」
「頑張って、姉上様……!」
 加座丸の額に優しくキスをした湖ノ葉は、表情を引き締めると社へと向かった。
 背中に感じる視線に、何度も振り返りそうになりながらも、湖ノ葉は社の扉に手を当てた。
 重い。見た目とは裏腹に、扉は思いの外重かった。この扉を開ければ、一年間、外界との接触は一切を断たれる。
「姉上様……」
 悲壮な囁きが聞こえた。振り返りそうになるのを、湖ノ葉は唇を噛んで押し止まる。
 今にも駆け出したい。そして、加座丸を力の限り抱きしめたい。だが、それはできない。
 すでに時は満ちようとしている。
 一年の終わりの日。それも残すところあと数分だ。
 湖ノ葉は力を込め扉を押した。ゆっくりと、扉が開く。中から柔らかな光が溢れてくる。
 「またね、加座丸」。呟き、湖ノ葉は社の中に入った。
 左手には鴇鼠色、珊瑚色、桃色の赤を基調とした御簾が。
 右手には月白色、瓶覗色、空色の青を基調とした御簾が。
 正面には祭壇があり、その向こう側には黒を基調とした御簾が整然とつり下げられている。
 ハレーションを起こしそうなくらい、鮮やかな色の御簾に彩られた室内。
 湖ノ葉は着物を脱ぐ。そして、制服のボタンを外していく。
 果実が成熟する前の、甘酸っぱさの残る魅力的な肉体があらわになる。桃色の生地に白いドット柄のブラジャーとショーツのみとなった湖ノ葉を、雪洞の光が怪しく照らし出した。



 置いてある手鏡とブラシを使って乱れた髪を整え、白い千早を身につける。

 ゴーーーーーーン………

 ゴーーーーーーン………

 遙か彼方、この世界とは違う世界から鐘の音が聞こえてきた。
 古い年に別れを告げ、新しい年を迎える鐘の音。
 深呼吸をして、湖ノ葉は祭壇の前に座った。
 年が変わろうとしている。
 『午』から『未』に変化する。
 今年一年は、湖ノ葉が人間の世界を守る番だ。

 静かに、厳かに年が変わった。

 社の空気が一変する。
 風も無いのに雪洞の明かりが揺らめいた。
 もう一度深呼吸をし、湖ノ葉は手を合わせ祈祷に入った。
 今年一年、幸が皆の上に降り注ぐように。
 今年一年、加座丸が健康に、元気よく生活できるように。
 来年、此処を出たとき、加座丸はどのように変化しているだろうか。
 泣き虫で無くなっていると良いが、それだと、少し寂しくもある。
 目を閉じ、小さく開いた口から祝詞が紡ぎ出される。
 清らかな結界が、人間界を包み込んだ。

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