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紫光は星空の彼方へ 一章 3話

 G県T市。関東平野の北部に位置するこの街は、東京の様に煌びやかで絢爛豪華に発展してはいないが、地方都市としてはまずまずの規模を誇っている。
 紫は商業ビルの屋上に立ち、目を細めた。北関東特有の強い風が、紫の髪を波打たせる。
 光を纏ったビルの足元には、飲食店や居酒屋が並ぶ雑多な繁華街が広がっていた。普段ならば聞こえて来る下界の喧噪も、今日は強い風の音に紛れてしまい聞こえてこない。
 時刻は午後九時を少し回ったところ。紫はビルの縁に足を乗せると、ジャケットのポケットから三枚の呪符を取り出した。セリスの屋敷を出る直前、大地の部屋に忍び込み数枚の呪符を失敬したのだ。これさえあれば、第三種生命体の気配を寄り敏感に察知する事が出来る。
 龍因子を呪符に注ぎ込み、空高く放る。良く晴れた夜空に、純白の呪符が舞う。呪符はヒラヒラと舞い落ちると、紫の周囲に留まらず、そのまま風に流されて夜の市街地へと吹き飛ばされていく。呪符は、あっという間に紫の視界から消えてしまった。
「…………」
 咳払い一つ。紫は気を取り直すと、再び目を細めて市街地を見つめた。
 すでにフェンスを越えているため、少しでもバランスを崩せば数十メートル下に真っ逆さまだったが、恐怖心はない。そもそも、落ちたら死ぬと思うから怖いのであって、ハンターならば、ビルの屋上から落ちたところで死ぬどころか掠り傷一つ負いはしない。
 紫は深呼吸をして目を閉じると、意識を集中した。龍因子が体内を巡り、夜の街へと放出されていく。この拡散した龍因子が、第三種生命体の龍因子に当たると、微かな反応として位置を教えてくれる。レーダーと同じ要領だ。一般人は龍因子の総量が元々多くないため透過してしまうが、第三種生命体は龍因子の塊と言っても過言ではないから、紫の放った龍因子が当たれば反応が返ってくる。もっとも、それは相手が龍因子を発散した時の場合だ。気配を消し、ジッと身を潜めているのならば、この方法では永遠に見つける事が出来ない。それに、狙った相手を見つけ出すと言う事も出来ない。もしかすると、関係のない第三種生命体やハンターの居場所を感じ取ってしまう場合もある。
(妖魔攻撃隊からの報告だと、相手は一日に一人ずつ人を殺しているんだったわね。だったら今日だって………。この方法は少し疲れるけど、そんな事も言ってられないわよね)
 何としても、一人で仕事を達成しなければいけない。そうしなければ、紫はいつまで経っても一人前として認めてもらえない。何歩も先に行っている兄弟子達に、少しでも追いつくために。
 紫は目を開ける。こうして見下ろす街は平和そのものだ。第三種生命体の存在が発表されて一世紀と少し。人々は第三種生命体の存在を受け入れたが、本当のところは、受け入れたのではなく、人事だと思っているだけなのだ。
 古代龍人の張った結界が弱まり、第三種生命体が多数出現するようになったが、人類の数から言ったらほんの僅か。第三種生命体の姿を見ず、一生を過ごす人の方が圧倒的に多いだろう。しかし、第三種生命体は確かに存在している。人々は、薄氷の上で生活している様なものだ。危険は常に身近に存在している。氷が割れて落ちてしまえば、自力では抜け出せない無辺の闇が広がっているのだ。
 そのような人達のために、ハンターは存在している。紫がセリスに助けてもらったように、紫も第三種生命体に怯える人を助けたいのだ。その為には経験を積み、もっともっと強くならなければいけない。
「ッ!」
 背中を細い絹糸で引っ張られるような、微かな反応を感じた。紫は振り返ると、フェンスを跳び越えてビルの反対側へ移動した。紫は神経を針の先のように尖らせた。光る街並みに目を凝らし、ジッと獲物が掛かるのを待つ。
「………来た!」
 紫の放った龍因子が、第三種生命体の反応をキャッチした。距離は、ここから一キロ程度離れているだろうか。市街地から少し離れた住宅街のようだ。
「いくわよ、あたし。成功させるわよ、紫!」
 紫はフェンスの上に飛び乗ると、そこから夜の街へ向けてダイブした。小さな体が加速度を増して落下していく。暗くて見えなかったアスファルトの地面が、一瞬にして目の前に広がってきた。紫は落下の衝撃を細い足二本で受け止めると、何事もなかったかのように立ち上がった。ポカンと口を開けてこちらを見つめる酔っぱらいに愛想笑いを振りまきながら、先ほど返ってきた反応を頼りに、そちらへ向けて駆けだした。

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