聖夜 乙
街中にクリスマスソングが流れる。
立ち籠める雲は厚く、じきに雪が降ってくるそうだ。
「おかあさん、ぼくのうちにもサンタさん、くるかな?」
五歳になる子供が尋ねてくる。
「どうして?」
頬を真っ赤にした子供は、こちらを見上げてくる。
白い吐息が宙を舞う。
「だって、ぼくのうち、えんとつがないでしょ? サンタさんは、えんとつからはいってくるんでしょう?」
「大丈夫よ。良い子の家には、必ずくるから」
「ぼく、プレゼントもらえるかな?」
「もらえるよ。大丈夫よ」
私は力強く子供の頭を撫でる。子供は、顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
女手一つで子供を育てていくのは、本当に大変だ。
夫と別れたのは、この子が生まれてすぐのことだ。
結婚してから気がついた、ギャンブル癖。金銭感覚の欠如していた夫は、私の両親にも金の無心をし、さらに消費者金融から多額の借金をしていた。
金が無ければ、心も生活もすさむ。
生まれたばかりのこの子が夜泣きをすると、夫は怒り狂った。
私は、泣きながらこの子を庇った。
夫が恐ろしく、深夜の街を子守しながら歩くこともしばしばだった。
身も心もボロボロになった私は、緑色の紙を突きつけて逃げた。
子供を保育園に入れ働き出した。
この世界の全てが憎々しかった。
私を孕ませた夫が憎い。
私を追い込んだ夫が憎い。
私に付きまとう子供が憎い。
あんな男を愛した自分が憎い。
全てが嫌になった。
子供が嫌いだった。
だが、そんな私の支えになったのも、この子だった。
この子を見ると、夫を思い出して心がすさんだ。だが、何も知らず泣く子を見ると、愛おしくて涙が出てきた。
憎しみと愛情。
二つの相反する感情が私の中で鬩ぎ合っていた。
勝(まさ)ったのは愛情だった。
夫は夫。
この子はこの子。
血を分けた親子だが、この子はこの子自身だ。何も悪くはないし、悪いはずも無い。
この子は、私自身でもある。
私の鏡。
私の心。
今は、この子の成長を見守ることだけが生きる喜びだった。
けして裕福とは言えない。
クリスマスだというのに、ホールケーキの一つ買ってやることはできない。
スーパーの安いショートケーキを買っただけだ。
それなのに、この子は目を輝かせて喜んでくれた。
ケーキが楽しみだと言ってくれた。
この子に不自由をさせている。
申し訳なさと、笑顔のまぶしさで胸が押し潰されそうだった。
家が近づいてきたとき、子供が公園の中に走って行った。
子供は、ベンチに腰を下ろした男性にジャムパンを渡していた。
大好物のジャムパン。
それを、あの子は見ず知らずの男性に渡していた。
子供は満面の笑顔でこちらに駆けてきた。
私は小さく頭を下げると、子供の手を引いて歩き出した。
「どうしてパンをあげちゃったの?」
「あのおじさん、さびしそうにしていたから。おじさんにも、サンタさんくるかな?」
「うん。きっとくると思うよ」
雪が降ってきた。
これから、雪はどんどん強くなるだろう。
簡単な食事を作り、ささやかなクリスマスパーティーをした。
子供は喜んでケーキを食べてくれた。
一緒にお風呂に入り、布団に入る。
その頃には、外はうっすらと雪が積もっていた。
遠くでサイレンの音が聞こえた。
「ママ、サンタさんくるかな?」
「来るよ。良い子のところには、必ずくるんだから」
私は子供を寝かしつけ、そっと枕元にプレゼントを置いた。
子供の好きな、ヒーローの塗り絵だった。
子供の喜ぶ顔を想像しながら、私は眠りについた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?