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紫光は星空の彼方に 二章4話

「………それって、本当なんですか?」
 八畳一間のアパート。畳張りの部屋は小綺麗に整理されており、紫が抱いていた男子高校生の一人暮らしの部屋とは様子が違っていた。
 東の壁には大きな本棚が置いてあり、そこには様々な本が並べられていた。見ると、マンガなどは一切無い。紫とは無縁の小難しい小説や辞典ばかりだ。昨日、大切そうに抱きかかえていた本も並んでいた。南側に吐き出しの窓があり、西の壁には小さな箪笥が一棹。その横には布団が畳まれていた。
 青年、火野雪路はカラになったコップにコーヒーを注いだ。
 リビングと続いている台所には、小さな食器棚と冷蔵庫が一つ並んでいる。シンクには洗い物など置いておらず、使用した形跡は見あたらない。恐らく、外食がメインなのだろう。
「何人もの人が第三種生命体に殺された。俺は、その映像を見てきた。この近くにいるんだろう?」
 雪路の声は震えていた。どこか、落ち着きがないのは、第三種生命体が恐ろしいからだろうか、それとも、紫が正面にいるからなのだろうか。可愛い女子高生と狭い部屋にいるのだ、緊張しない方がおかしいのかも知れない。
 紫はクスリと笑うが、すぐに口持ちを引き締めると、一つ神妙に頷く。
「ええ、この辺りに潜伏していると思います」
 普段のように間延びした口調ではない。ハンターとして、少しは威厳のあるところを見せておかなければいけない。
 「それで」と繋いだ紫は、コーヒーで喉を湿らせると話を続けた。
「貴方の話してくれた内容を、是非とも詳しく聞きたいわ」
「何を聞きたいんです?」
「もっと詳しく聞きたいの。第三種生命体の容姿とか、どうやってターゲットを見つけているのかとか」
 小さな丸テーブルに身を乗り出す紫。日も陰り、暗くなった室内に虹色のメッシュがキラキラと輝いてる。
「そんな事を言われても」
 雪路は口籠もる。綺麗に整えられた眉が、困ったようにへの字になる。紫の表情とは対照的に、雪所の表情は曇っている。彼は、自分の持つ能力に困惑しているのだろうか。
 紫の熱い視線に負けたかのように顔を背ける。雪路は立ち上がると、南の掃き出し窓に近づいた。カラカラと乾いた音を立て、窓が開けられる。
 雪路の背中を、紫は黙って見つめた。
 冷たい風が室内に流れ込んでくる。
 微かな音を立て紫の髪が流れる。
 春風に花の香りが漂っていた。
 小さな声で、雪路は答えた。
「アイツの姿は、昨日、初めて見た。ミラーに映っていたんだ、アイツの体が」
 紫は目を細め、雪路の声に耳を欹てる。
「姿形は……、マントを身につけていた……いや、翼か。暗くてよく分からないけど、翼が背中にあった。そして、細くて長い手足。顔は小さくて、ワニや蛇などの爬虫類に似ていて、瞳のない赤い目を爛々と輝かせていた」
 所々言葉を止めながら、雪路は記憶の中から第三種生命体の映像を思い浮かべているようだ。
「他に、何か特徴は? 何でも良いわよ、手がかりになるような物なら、些細な事でも」
 紫は立ち上がる。雪路の元へ向かおうとした時、雪路がスッと体を室内に戻した。振り返る彼の顔は影になりよく見えないが、彼が酷く驚いているのが分かった。
「最近……、不審な人物を見かける事がある」
「不審な人物?」
 紫は掃き出し窓から外を見る。
 すでに夕日が落ちた空には、星がきらめいている。満月になりきれない中途半端な月が、ポツンと浮かんでいた。
 月明かりが落ちる住宅街に、不審な人物は見受けられない。
「ここ数日、不審な人間がいる。何度か見た事があるんだけど、すぐにどこかに行ってしまうんだよ」
 雪路の言葉に、紫は頷いた。
 紫は自分の連絡先を雪路に教えると、アパートを後にした。
 セリス邸に戻り、現在の進行状況を報告しなければいけない。それに、雪路の話を聞いてもらい、意見を仰ぎたかった。

「せんせ~~~! カルト~? だいちぃ~!」
 人気のないセリス邸を一通り見て回った紫は、リビングのテーブルに置かれた卓上カレンダーを見て「あっ、そっか」と納得した。確か、カルトがソロモンの霊と契約をすると言っていた。皆は、地下の訓練室にいるのだろう。
「カルトの奴、ボコボコにされてれば面白いのに」
 クスクスと笑いながら、紫は訓練室へ向かった。
 訓練室に入った紫は、思わず入口で立ち尽くしてしまった。目の前には、一瘤駱駝に乗ったエキゾチックな美女。セリスとも麟世とも違う、絵の中から抜け出したような容姿。人の持つそれとは違う、さめざめとした美しさだった。駱駝の足元に輝く印象を見て、それがグレモリーだと分かった。
「あら、紫、帰ってきたのね?」
 結界の外に立っていたセリスが、紫に気づいた。
「うん……、カルトは?」
 結界の中に居るグレモリーからは、気配は疎か微かな龍因子さえ感じられない。セリスの張った青い結界が、すべてをシャットアウトしているのだろう。しかし、グレモリーが放つ威圧感は凄まじい物で、これが結界の外にいたならば、恐らく一歩も動く事は出来ないだろう。それほどの実力の差を、紫は一目で実感した。
「カルト君なら無事よ」
「ふ~ん、勝ったんだ」
 紫は麟世の横に立つと、グレモリーの前に立つカルトを見た。普段は怪我一つ負わないカルト。すでに傷は癒されているようだったが、白い仕事着には赤い血がベットリと付いている。やはり、カルトといえど一筋縄ではいかなかったようだ。
 ざまあみろと思う反面、また差が開いてしまったと拳を握りしめる。対抗しているわけではないが、目標との差が開いていくばかりでは、やはり面白くない。
 次々と仕事をこなし、そして強くなっていく兄弟子。それに比べ、自分は三度依頼に失敗している。セリスのお仕置きは確かに怖いが、それ以上に失敗した時の事が怖い。紫が失敗すると言う事は、誰かが死ぬという事なのだから。
「紫ちゃん、仕事は順調?」
 麟世の問いかけに、紫は眉尻を下げた。紫が失敗する度にメールをくれたり、アルルーナで愚痴を聞いてくれる麟世。まだ付き合いは浅いが、いつしか紫にとって麟世は姉のような頼れる存在になっていた。
「麟世姉様~…。順調……とは言えないわよ~」
「大丈夫。いつもの訓練みたいにやれば、きっと成功するわよ」
 紫の言葉に麟世は微笑む。この木漏れ日のような優しい笑顔に、紫は何度も救われてきた。恐らく、カルトの心もこの笑顔によって救われたのだろう。
「さあ、カルト、グレモリーに聞きたい事を尋ねなさい」
 セリスの言葉に、紫と麟世はカルトに注目する。
 カルトは、やや緊張した面持ちでグレモリーに近づいた。もし、契約が失敗していたなら、この瞬間にカルトの首が飛んでもおかしくはない。
 グレモリーは涼しい眼差しでカルトを見下ろしている。どうやら、グレモリーにカルトを攻撃する意志はないようだ。
「何なりと……」
 グレモリーが口を開いた。口から発せられたのは、キーキーとした甲高い奇声。しかし、言葉は頭の中に直接響いてくる。頭の中を掻き回されるような、不快な感覚に紫は顔をしかめた。隣にいる麟世も、苦しそうに唇を噛み締め、目を細めている。
「グレモリー、お前に尋ねたい事がある」
 カルトはそう切り出すと、チラリとセリスを見た。カルトの眼差しを受け、セリスは頷いた。
「『妖術の暴露』、それが最近出回って困っている。写本の在処を知っているか? それを持っている人物でも良い」
 カルトの問いに、グレモリーは小さく首を傾げた。そして、ゆっくりとその顔がこちらに向けられた。グレモリーの視線の先にいる人物、それは麟世ではなく紫だ。
「………」
 グレモリーの静かな眼差しを受けた紫は、知らずの内に一歩後退していた。
「貴方の望む物は、すぐ近くにあります」
 グレモリーはそれだけを言うと、何の前触れもなくフッと虚空に消えた。グレモリーの消失と共に、光っていたソロモンの印象も力を失い消えていった。

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