「今」を起点に考える格差拡大とその帰結

今後の新しい生活様式やニューノーマルといった表現が増えている。
世の中がこれを機に変わるのだろうが、その先はどうなっていくのか?自分なりに考えてみる。

【バブルとバブル崩壊、そして一層の格差拡大へ】

コロナ禍での金融緩和によって、市場へのお金が非常に増えている。
これらのお金はいずれ株や不動産という資産に向かい、コロナ前の状況を越える株高や不動産高のバブルを引き起こすと予想している。

モノの価値が以前よりもなくなっている今、設備投資などはそこまでお金を必要とせず、余ったお金は最終的には株や不動産といった資産に流れるしかなくなり、バブルを作り出す。

高リスク資産の増大や、ジャンク債を中央銀行が購入することで、いずれそういった企業の倒産などから金融危機やバブル崩壊に繋がると思う。
バブルが崩壊しても、資産家はまた安い価格で資産を買い、高値で売るなどを繰り返し、ますます資産は増えていく。中流階級以下が一番困る。

また、AIやテクノロジーがますます進化し、一部の超エリートさえいれば、大多数の人は不要、もしくは単純労働や賃金の低い仕事しかなくなり、格差はますます拡大していく。

結局、テクノロジーの発達、グローバル化の進展、それに伴う金融緩和の帰結は、「今以上の格差拡大」。ここに行き着くと予想している。

【格差拡大の先のベーシックインカムと生活の二極化へ】

格差が今まで以上に拡がっていくとしたら、その先はどうなるのか?

著者によると、格差縮小に「貢献」したのは、戦争、革命、国家の破綻、感染爆発という「四騎士」であり、これに代わる再分配政策や教育といった平等化の企てはほとんど成功していない、という指摘をしている。

では、この格差拡大の先に、日本に待っているのは?と考えると、国家の破綻、が一番現実的な気はするが、この四騎士以外の自浄による格差解消が出てこないかと期待している。

戦争は帝国主義などはなくなり、メリットよりデメリットが大きくなったため、大きいものは起きないと思っているし、そうであって欲しい。

革命は、共産主義が失敗した今、資本主義に変わるイデオロギーなどは出てこず、資本主義が形を変えていくものと思っているので、革命も起きない。

感染爆発は今まさに、という感じだが、スペイン風邪やペストのように世界人類の多くが死亡するまではいかないと思うし、そうあって欲しい。

日本の場合は、金融緩和→国の借金の増加→国や通貨の信用失墜→ハイパーインフレでのリセット。が一番ありそうな気がするが、その前に自ら格差を縮小するような自浄作用が日本や世界にはあるのではないかと思っている。

それは、資産家やエリートが、自らの意思で社会への再配分を行うことでの平等化だ。

ビルゲイツが財団での活動をする、というようは超ド級の資産家じゃなくても、社会起業家という人たちの増加、給料よりもやりがい(人のため)に働きたいという若者、クラウドファンディングなどでの寄付や応援、CtoCでの物々交換に近い経済、など素晴らしい動きは増えているし、SDGsがない企業は評価されないといった自浄作用が人類にはあるように思う。

そういった先には、働かざる者食うべからず、といった価値観の転換や、BI(ベーシックインカム)に近い社会になるのではないかと思う。

そうなると、仕事や生き方は大きく2つの潮流になるのではないか。

①テクノロジー系を中心にしたビジネスエリート・起業家など

GAFAMのエリートや、起業家などで莫大な富を築く人は今後も増え続けると思うが、そういった人たちは、プライベートジェットや大豪邸、豪遊というのには興味が減り(もしくはそれでも使いきれないぐらいの富があり)社会還元への活動に傾斜していく。

②地に足をついた生活、1次産業、芸術家、スポーツ選手、など自分のやりたいことをやる人たち、好きな生き方をする人たち

BIや、そういった人たちが応援されやすい社会になることで、自分のやりたいことや希望とするライフスタイルがある人たちは実現しやすい社会になる。新しい文化などはそういったところから生まれてくるのかもしれない。

【必要な価値観の転換と変化しないリスク】

東洋思想研究科の田口先生は、「転換 → 成長 → 安定 → 転換」のサイクルで時代は変わり、今はまさに大転換期であると言っている。
そこでは東洋と西洋の知の融合が必要である。と。

田坂広志氏はガイア思想などを紹介した上で、「機械論的世界観」から「生命論的世界観」などへの転換も紹介している。「生命観」の転換なども述べている。

西洋的な価値観でここ数百年人類は発展してきた。
そういった西洋的な価値観だけで考えることが限界になり、東洋的な価値観への転換・融合がまさに起きようとしているのが「今」だと思う。

そういった中で、ここ30年ぐらいの価値観や、常識というものから抜け出せず、自らも変わろうとしない人は取り残されるか、逃げ切れるかは分からないが、大きい流れからは外れてくるのだと思う。

最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。
-チャールズ・ダーウィン

【自己の人生哲学や思想を問い続ける必要がある】

そんな大転換期で、どうなるかも分からない中、どうするのが良いのだろうか?

今の僕の考えは、自分の人生哲学や、思想性などについて問い続けること、が大事だと思っている。

自分の人生哲学や思想などを確立できるほど、深い人生経験や鮮烈な体験があるわけでもなく、そんなものを語れるような人間ではない。

ただ、自分がどう生きたいのか?どう生きるべきなのか?といったことに対しては、自分自身に問い続けることが大事だと思っている。

幸いなことに、この日本という恵まれた国では、こういったことを考えられる余裕がある人は多いと思うし、今後BIなどが検討されればよりそうなると思う。

もっと稼ぎたい!という人も多いだろうし、それは一切否定しないが、稼いだ先に目指すものは?それは人を犠牲にして稼いだものではないか?といった稼ぐことの先をしっかり考える必要がある。

結論なんて出ないし、普段は忘れているけど、たまに思い出しては考える。そして今の自分がズレていたら微調整する、その繰り返しなんだと思う。

今の僕の目指す生き方は、古代ギリシャ語の「善」と「人間の運命」の合成語である「エウダイモニア」が近い。

「幸福は人生の目的であり、全ての人間存在にとっての最終目標だ。」
幸福をもたらす要素は、例えば勇気、寛容さ、温和さ、などを促す善き行い。
善良で賢いという特性を持つ私たち人間は、自分たちだけでなく、コミュニティにとって良い行いをすることで幸福になれる。
幸福とは、自らの人生の意味を創造することだった(アリストテレスにとっては)エウダイモニアは、地域社会に貢献する意義深い人生。

もう1つは田口先生から学んだ、「天は愉快な人生を望んでいる、そのためには健全な社会を作ってくれ」という「愉快な人生と健全な社会」

どちらも近いことを言っているし、必然的にそういった方向を目指す人が増えていくことになると思う。

それはガイア思想などの恒常性維持(ホメオスタシス)などからも読み取れることだと思うが、それはまた整理して書いてみたい。

問いを立て続け、問い続ける力は「今」を起点として未来を考える上ではとても大事な力ではないかと感じている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?