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1971年8月 ソフトボールの宿敵 6文

 2023年8月、「結局、タコは大学生活、8年送ったと思っているが、今となってはそれがよかったなあ」。タコと会うのは5年ぶりである。昔と同じで昨日も話をしていたように会話は続く。 高校時時代に私が名字といで立ちによりタコ(蛸)と命名させていただいた。タコとの思い出で一番盛り上がるのはやはり、半世紀前の夏の小学生町内対抗戦のソフトボール大会決勝戦である。その年の夏のプロ野球オールスター戦で阪神の江夏投手が9者連続三振を成し遂げた。タコ率いる本町チームも剛速球投手で、打つのは難しかった。こちらの西町チームはまともに打席に立ち守れるのは5人程度であとは立っているだけの案山子である。当然優勝は本町チームと誰もが疑わなかった。予想を覆しわれわれ西町チームが優勝した。タコは今でもその話を必ずする。「本当に西町チームは強かった。敵わなかった。あなたとゆるーいションベンカーブのケンイチ投手にやられた。」「そんなことはないよ。下馬評では文武両道の優等生の本町チームが勝つとみんな言っていたから。運を引き寄せただけだと思う。強いて言うならば、負けてもともとなので思い切ってプレーができたからかもね。」
タコは中学、高校二年生までは優等生であった。三年生の時、同じクラスになり優等生の感が薄れていた。案の定、その後二浪して大学に入り、六年かけてゆっくりと卒業した。浪人している時にタコの下宿先に行った。とても勉学に励んでいる様子はなく、色恋を含め遊び惚けているニオイが漂っていた。「遊べるうちが花だが帳尻はあわせて。」と柄にもなく言ったようにも思う。
社会人になって、30代、40代、50代、そして60代と、故郷に住んでいるタコとたまに会いたくなり電話をすると、場末の飲み屋にホイホイ出てきて近況と昔話に花が咲く。
タコは今少年野球やソフトボールの審判をしている。その界隈では偉い人になっているそうだ。やはりタコは優等生だったんだ。地域の青少年と関り、成長を見守っているようだ。
タコに会うと元気が出る。昔無茶苦茶なことばかりしていた私に、今もまだ、ポジティブなスタンスで思い出話を語ってくれる。私もまた、タコには笑って話ができる思い出しかない。
半世紀前のソフトボールの宿敵は、いまもまだ健在だ。30代から未だにカラオケの点数で勝てたことがない。100点満点を出すタコ。いつか一度勝ってみたい。
カラオケの宿敵、敵と思っているのは私だけではあるが・・・・
今度、対戦するときは負けてもともとなので思い切ってプレーして(歌って)みるか。ソフトボールの時のように運を引き寄せられるかもしれない。
「今度また、電話するよ。タコ、よろしくね。」
合掌。  2023.09

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