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2004年 ずっとみてくれている友よ 7文

 2億円の商談が決まった。うめちゃんのおかげである。2004年、マツケンサンバが流行っていた頃、私も喜びサンバを踊っていたに違いない。
うめちゃんが勤めている会社の偉いさんをご紹介してもらい、その大きく太い関係性の中からからソリューションを考え提案し、どぶ板営業も辞さず活動した結果である。その偉いさんに対してのうめちゃんの陰の交渉もあったと思っている。本当にありがとうございました。今でも感謝しております。
うめちゃんと初めて会ったのは、当時私がある研究会の幹事をしていた1998年頃ではないかと記憶している。当時私はコーポレートベンチャー推進の部署にいて、この研究会はベンチャー企業の支援について、さまざまな専門家と研究と実践を重ねていた。そこに一緒に遊びたいと入ってきたのがうめちゃんである。彼もある会社のコーポレートベンチャー推進の部署だったこともあり、意気投合して夜な夜な酒を飲みなにかを熱く語り、楽しかった。なにしろ二人とも勢いがあった。巷ではよくSMAPの「夜空ノムコウ」が流れていた。
「こじんまりした人間になったなあ。昔は長髪でアロハとサンダルで私の会社に来て、ふざけた感じなのだが、結構しっかりしたコンサルをして内容にキレがあり、大物かなと思っていたけど。」とここ10年ぐらいはボロカスにうめちゃんから言われることが多い。
うめちゃんと知り合って四半世紀、彼はずっと私を見守ってきてくれた。仕事だけではなく、家庭のことや、何者になるのかを観続けてくれている人である。時には本音の叱咤激励をもらい、こちらからも同じように応援する、そんな関係性なのである。
5歳年上で、古希も祝う年も近いが未だにしっかりと働いている。私の先を走っている先輩である。半年に一回ぐらいは会うようにしている。最近も叱咤激励を受けた。この年でボロクソ言われると正直腹が立つが、冷静に考えるとうめちゃんが言っていることは正論かもしれないと思うことが多いし、なによりも愛を感じている。
勝手に思っていることではあるが、私の唯一のファンだ。そのひとに愛想をつかされないようにしないといけない。最近はそんな気がしている。
うめちゃんもそろそろ半世紀ぶりにふるさと九州に戻り、願っているように家族と一緒に暮らすことを考えないといけないと思う。自分が思う働き方をしたいのはわかるけど、そんなに長くは生きていないのだから。
九州に行っても会いに行きますよ。うめちゃんにどう思われるのかを確認したいからね。また、毒舌を吐くに違いないが。
いつまでもよろしくお願いいたします。
来月末、会うのを楽しみにしています。     
2023.2

2024年3月1日
浅草 神谷バーにてうめちゃんと飲む。一年前に言っていたことが現実となった。来週、首都圏にある家を引き払い、九州へ戻るこことなった。その送別会を二人だけで催した。
何を話したのか、覚えていない。九州へ会いに行くからと言ったことぐらいだ。
なにか、恋人と別れる感覚に似た感情かこみあげてきた。梅ちゃんも涙をこらえて私に話してくれる。目を合わせることができない。
帰り際駅まで送ることができない。神谷バーを出て握手をして再会を約束して別れた。
うめちゃんがぽつりと言った。「九州から東京へ出てきて三十数年、何が残ったのか?、あなたに会うために東京に来たのだ。それが一番良かった。」
その言葉に対して「また、いつも大げさなんだから」
 でも後ろを振り返ることができなかった。
もう九州で新しい生活が始まっているね。
うめちゃんありがとう。九州へ会いに行くから・・・・
 これからもよろしくね。
2024.3.9

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