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2009年5月 シュムリアップのトゥクトゥクドライバー 3文

Oui (ウイ)と彼は応える。シュムリアップ空港から朝早くホテルに着いてシャワー浴びて街にくり出すことにした。ホテルの入り口の脇に数人の三輪自動車のタクシーのトゥクトゥクドライバーが屯していた。「安くしておきますよ」と流ちょうな日本語で話しかけてきたドライバーをさらりとかわし、端の方でモジモジしている厳つい大男が目に留まった。片言の英語で「あなたは一日貸し切りでいくらですか?」「13ドル」「五日間貸し切り60ドルでお願いできますか?」「ウイ。」
 この年は今(2022年)とは真逆の1ドル80円前半の円高であったため、朝から晩まで1日千円でどこにでも連れて行ってくれる。交渉成立でお互い片言の英語でのコミュニケーションが始まった。「どこか落ち着いたカフェに連れて行ってほしい」返事はフランス領であったため「ウイ、メルシー・ボクー」となる。当時は別の名前だったような気がする、今はパブストリートと呼ばれているところのカフェに連れて行ってくれた。「いつでも呼び出してくれれば直ぐ迎えに来ます。この電話番号にかけて」と言い残し彼はカフェを去った。
 翌日から彼の愛車に乗って、アンコールワット、トム、バイヨン、夕日がきれいなプノン・バケン、トレンサップ湖等10kmぐらいで行けるところはいろいろと観て回った。さすがにベンメリアやバンテアスレイの遺跡は、自動車を手配して観にいった。
 夜な夜な、酒場を彼の案内で飲みに行った。美味しかったのだと思うが日本料理とカンボジアのヌードルをよく食べた記憶がある。いつでもどこでも、彼に電話をすると愛車が間もなく迎えに来る。そして酒場に向かう。有名なレッドピアノにも何回か行ってウィスキーをロックで飲んだ。
 このひとり旅は亡父が半世紀以上前にシュムリアップを訪れた軌跡を追う旅でもあった。父の手記にラッフルズ グランド ホテルの中にあるエレファント バーに行ったことが記してある。いつものように愛車で乗り付けるのではあるが、伝統のある格式高いホテルには似つかわしくない乗り物であったがお構いなしで正面玄関から堂々と入っていった。落ち着いた大人のバーで、ここで親父は何を考えていたのであろう。楽しい旅の思いにふけっていたのであろうか。
 貸し切りの最終日、三度目のアンコールワットに行った後、感謝のしるしとして彼をランチに誘った。戸惑った様子であったが強引にレストランへと連れ込んだ。後でわかったことではあるが、カンボジアでは運転手と食事をするということは馴染みのない行為であるらしい。だから回りを気にしながら食事をしていた彼であった。謙虚でシャイな彼は今もドライバーをしているだろうか。コロナが落ち着いたらシュムリアップに行ってみたい。その時は、昔のアイフォンを充電して、彼の名前と電話番号を探して持っていくつもりである。
 二人で映っている写真を見ながら、その当時を思い出している。
2022.12

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