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1990年 300日間の入院 感謝しかないお医者さまへ 5文

OS先生へ
1990年から91年にかけて約300日の間、私は病院で過ごしていた。
当時、織田裕二と鈴木保奈美の東京ラブストリーをベッドに横たわって観ていたことを記憶している。その月9ドラマがある毎週月曜日の朝、担当主治医であった呼吸器科のOS部長が回診に来てくれる。
今でもWebで先生の名前を検索すると、現役で活躍されていることがうれしい。さすが名医である。
 1990年11月頃から、よく咳き込むので風邪かなと思っていた。なかなか治らず、高熱が出始めたので近くの病院に行くと、肺炎だと診断され、その病院で入院することとなる。一カ月経っても回復せず、大学病院に転院することとなった。「肺がんかもしれない」一瞬不安になった。大学病院では五、六人の研修医が見学する中、MRI等の精密な検査を受けた。結核だった。最初の病院では菌が出なかかったため、なかなかわからなかったのだ。そして結核病棟のある病院へ移ることとなった。
 入院当初は、40度の高熱が続き、看護婦さんの介添えがなければ用を足すことさえもできなかった。辛かった。OS先生は、そんな私を「直ぐに熱はおさまるから」と言ってくれる。そのたんたんとした仕草が私を暫し安心させてくれる。不意に私のべっどまで訪れてくれることもありいつしか、OS先生が来てくれるのが待ち遠しくなっていた。
 入院中に、合併症によりお年寄りを、数十人もおみおくりした。人は確実に亡くなることを実感した。そして翌日、みおくったベッドに新たな方を迎い入れる場面を何度もみていると、なんとも言い難い感覚になっていた。
 入院して4カ月が経過した。外出許可が許されるまでになった。美味しいものを食べに下界にくり出す。今日飯を食べられるのは二度ないと思うと美味しいものを食べたかった。
 退院の時が近づいてきた。あれほど待ち望んでいたのだがなぜか寂しい思いをした記憶がある。
 定期的にOS先生の診断を受け、五年が経った。「もう通院しなくていいよ」と言われた。その後も二、三年経つと不安になりOS先生の顔をみたくなり病院へ行く。先生は相変わらずたんたんと「大丈夫だ」と言ってくれた。最後に先生の顔をみにいったのは15年ぐらい前かもしれない。
 一度会いに行こう。「胸が痛いので来ました。」「では、診てみましょうか。」
「お願いいたします。」
そんな会話が交わされるに違いない。
 私を不安から解放してくれる。
本当にありがとうございます。先生。私は先生に幾度となく救われた。
あの頃が懐かしい。あの300日間は私にあらたな人生観を与えてくれた。
感謝しています。合掌。
2023.10.09

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