見出し画像

1959年7月 母 1文

あなたは、今、何を考えているのですか?
私も傍からみたら初老であるがあなたからみれば、まだ危なっかしい心配な次男坊なのでしょうね。
 1959年4月に皇太子(今生上皇)がご結婚され、ミッチーブームに沸く中で安保改定交渉が本格化してきた。その年の7月に私は生れた。
前日、夏の夜に商店街が主催しているお祭りイベント(夜の市)で店番をしていたあなた。文房具屋を営んでいたため身重であっても戦力の一員である。立ち仕事のためちょっとしんどくなり、店の奥で休みそのまま床に入った。翌朝、軽トラを自分で運転し病院に行った後、そのまま私が青ざめた顔をして出てきた。看護婦さんにお尻を叩かれ鳴き声が聞こえて一安心。生まれた時の体重は4キロとかなり大ぶりの赤ん坊であった。
91歳になったあなたから63歳の私の誕生日の日に聞いた話である。
保育園にあなたと手をつないで行く途中に「あの子やな」と同園生に指を指されて言われていても、しっかり手を握り何食わぬ顔で堂々と闊歩するあなた。小学校2年生の参観日の時には、担任の先生に対して「先生は教師免許を大学時代に取ったんですか?」と問い、他の親は笑っていたが私を真剣な眼差しで見守っていたあなた。その後授業が始まり先生から逆襲の質問をされ応えられなかった私。高校の時、停学となった私を指導をしている校長先生に「内の子はいろいろあるが信じているので」と言い放ったあなた。
あなたは、今、なにをしているのですか?
このあいだ、救急車で運ばれ脳梗塞の初期の症状だと聞いているが、目の前のあなたは私の昔話をしっかりとした口調で話してくれる。「今勤めている会社ではちゃんとお役目を果たしているのかい?」と会うたびに訊ねてくれるあなた。よちよち歩きで手すりを持ちながら着実に一歩一歩踏みしめてトイレに向かうあなた。
私がどんな悪人であってもあなたは信じてくれる。根底にこの気持ちを持っていたから私はなんとか人並に生きてこられた。信じ続けることの怖さを、そして尊さを息遣いで今でも感じられる。
私も歳を重ねていく。あなたのような覚悟のある生き方は到底できていない。息遣いが聞けるまで今昔の話を聞かせてほしい。そして活字に残しておけば、会えなくなったとしても息遣いの残り香を感じることはできるかもしれない。
愛犬クロに用を足させるあなたをみながらそう思った。
あなたは、今、なにをしたいのですか?   2022.07

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?