煙草は吸わないしバイクには乗らない

「ポールダンスって見たことあるか」
 苦い煙草だ。誰が好んでこんなもんを吸ってるんだろうか。銘柄は有名なやつだけど、有名なものは大抵舌に合わない。忘れてきたのはどこだろう。髭を剃った後に一服しようとして、煙草を洗面所においた。それで眼鏡がないことに気がついて、それから、眼鏡はいま俺がかけているけど、洗面所には戻らなかったわけだ。バカバカしい。いつもなら忘れないはずだった。今日はたまたま之淵緒川と会う約束が会ったから早く出る必要があって、でも奴には会えなかった。
 それにしても、苦い。なんでこんなに苦いんだ?
「そーいうのっておっさんが行く店にあんじゃねえの。てか俺今女いるし、金払って女の裸とか見に行かなくていいわ」
「違う。あれは芸術なんだ。ゴム人間みたいにすっげえぐねぐねすんだよ、それで柱に巻き付いて喘ぐ」
「喘ぐのかよ」
「喘ぐ必要なんてねえんだ、ほんとは。だってあれは芸術なんだからな。バレリーナや舞妓は喘がないだろ。でもエロ目的で来てるやつもいるから、喘ぐ」
「ふうん。ヤったら気持ちいいのかな、そういう女って」
「死ね。そーいうふうに見るからあの人達は喘がなきゃならねーんだ、死ね。死ね死ねばーか」
「なに、おまえ、姉貴がポールダンサーかなんかやってんの」
「マジホント死ね」
 もう一本吸う気にはならなかった。ファミレスの、安くて美味くもないウインナーが皿に残ってたから、苦い唾液といっしょに飲み込んだ。時計を見るとそんなつもりはなかったのにもう一時間近くも駄弁っていたらしい。
「なんだ夜津、もう帰んのか」
「もうってもいい時間だろ。暇かよおめえら」
「飲み行くんなら付き合うぜ」
「帰るよ、もう」
「バイトかなんかあんの?」
「会計は?」
「いいよ、あとで払ってくれれば」
「うっす」
 連中はそれ以上は引き止めなかった。なんとなく白けた雰囲気を感じるが、それは俺のせいというわけじゃない。みな、なんとなくまだお開きにしたくないと思っているだけで、実際になにか話すこととかがあったりはしないんだ。他の奴らが帰らないから、まだ帰らなくていいか。その程度のものだろう。時と場合によっては俺がそっち側で、ありがたい用事のために抜けていく奴を白けた顔で見送ることもある。
 ただし今の俺には用事なんてないんだが。
 店を出るとそこには夜があって、寂しい秋口の寒さが渦巻いていた。冬用のを着てくればよかった。煙草も忘れるし、天気予報だって確認してこなかった。イレギュラーな予定が朝にある日は要注意だな。ヘルメットを被り愛車に跨る。ギアをロー、半クラ、どうどうどう。
 そのまま家とは反対にハンドルをきる。スピードがのってくる。風を感じる。コートは薄いがストールをつけてきたのは正解だ。駅からも遠ざかる形になるせいか対向車線ばかりが賑わっている。それでも無茶な加速をして遊べるほど車が少ないわけでもなかった。そんなことは構いやしない。夜を走れるだけで十分だ。
 バイクはいい。バイク乗りという自分に酔うことも出来るが、それは重要ではなくて、俺という身体が世界にさらけ出されているのがいい。スリルがあるとかそういうんでもない。嘘がないんだ。全身で風をきる感覚、スピードの重み、そういうありきたりな言葉に任せてしまってもまだ魅力的だ。特に夜がいい。世界に自分は一人ぼっちで、夜津雨時音という名前も、大学生という肩書きも、男も、女も、何の意味も残らない。寂しさは、正直さだ。豊かなことは嘘ばっかりだものな。
 これでどこまでもどこまでも、永遠に、命とガソリンの尽きるまで走っていけたら最高なのに。いつもそう思う。夜の中を走る時、心地良い孤独に身を委ねる時、脳裏をかすめるのは明日の予定ばかりだ。楽しい時間のさなかにいるその時に、どうしてその終わりを考えてしまうんだ? それにしても、俺はきっと大成はしないだろう。そういう予感がある。夢の中でさえ明日の予定を確認するような奴は凡人の才能があるんだ。しかし俺にはそんなことだって我慢できない。
 バカ連中とつるむ時も、そうだ。みな等しくバカだが、それでもバカなりに道を模索したり、そういうのをまあしかたねえことだからって受け入れたりしていることに気がつく時がある。テーマパークにいるようなのとも違うもっと間延びした時間をともに過ごす楽しさにさえ、俺は終わりを見出してしまう。高校卒業を間近にしながらも、みんなそれを隠してバカやってる時と同じだ。
 ひとしきり考えていると心の調子は悪くなるばかりだった。せっかくの夜が台無しだ。しかしいつもこうなのだから、まったく救えない……。



とにかく主人公をうじうじした陰キャ学生から引き離そうとしたけどどうしてもそうなってしまったので没になった部分

#愛迷メニルト


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