救ってくれよと叫ぶ夜に声が出なくて

 誰に責められたわけでもないのに、気がつけば横道にそれていた。
 帰宅して、タブレットを開くと充電が切れていて、七日ぶりにテレビをつける。
 汗にまみれたスーツを脱ぎ捨てながらクイズ番組を眺める。ご当地の特産品とか、昔の俳優とか、全くわからないような問題ばかりだ。近頃の番組はどれもこれもつまらない、なんて確かにそう思うこともある。かといって昔の番組になにか特別な思い入れがあるわけでもない。そもそもテレビがつまらないのか、私が感受性を失ったのか。べつにテレビといわずネット番組も、ラジオも、書店に平積みされたベストセラーもおもしろくなんてない。それらは、なんというか、ありきたりな世界だった。
 でもまあ、面白いよりはつまらないほうがずっといい。魂を揺さぶられるような瞬間は、私にとっては目指す先だったが……今は捨ててしまった過去だ。直視するに耐えない。勘弁してくれって思う。つまらない、ありきたり、そういうものは私を安心させてはくれる。ようするに、嫉妬しなくて済む。
 安アパートの六畳一間にくたびれた女が一人。
 肘にあたって飲みかけのペットボトルの生ぬるい水が床にぶちまかれる。くそったれだ。最近の電化製品とか、一生行くことのないような裏町のレストランとか、そういう益体もない情報を満載した雑誌に水が染み込んで黒く湿っていく。毒にも薬にもならない文字の束。いつ買ってきたっけ。読みかけだったかな。なんにも覚えちゃいなかった。
 ペットボトル、カップ麺、空き缶。ペットボトル、ペットボトル、カップ麺、空き缶、空き缶、空き缶、空き缶。ペットボトル、カップ麺、コンビニ弁当。寝床を確保するために一つ一つかき分けゴミ袋に放り込んでいく。足の踏み場さえない。じゃあ昨日はどこで眠ったんだろう。薄っぺらな記憶。何も思い出せない。日々のあらゆる事柄がなんの記憶にも紐付けられていないせいだ。真っ暗の、凹凸のないトンネルにずっと潜っていたみたいに、振り返っても闇が口を開けているだけ。
 帰りがけに買った缶コーヒーを飲む。人工甘味は好きじゃない。いつもブラック。これは珍しく若い頃から変えてない習慣だ。
 そのまま熱いシャワーを浴びて、布団の上に横になると少し気分が楽になる。そのままの姿勢でざっと明日の予定を確認。ちょっと思いついて、予定表を遡ってみる。飲み会、送別会、会議、出張、飲み会、研修。昨日までも、これからも、私の一日が名詞一つか二つに収められて書き記されてある。それまでしてようやく、私は自分の連続性を再確認できる。でもまあ、大したこともない。良い記憶のほうが少ないし、私という個性とか主体とかが、どれほど日々に埋没していたってことがわかる程度のものだった。
 概ねしてそういうことが「生きている」ってことなのかもしれない。
 大の字に四肢を広げると、手足の先がなにかにぶつかって金属音がする。確認する気にもならないほど全身は酷い疲れに取り憑かれていたけれど、なんとなく眠れない。扇風機の羽音。上階の足音。隣の部屋からは話し声。
 ああ。
「ひとりぼっちだな」
 一瞬の静寂があった。
 自分自身の声に少し驚く。今まで引っ切り無しに聞こえていた物音が、実は虫の囁きよりも些末なものだったと知る。それって私が独りだったことの証明以外のなにものでもない。
 途方もない虚しさの中で私は泣いた。驚くくらいに涙が止め処なくあふれて、心の高ぶりが鎮まってもずっとずっと泣き止めなかった。


フォルダを漁ったら鬱真っ盛りの時に書いた端書がでてきて鬱がぶり返して死にました。いつか続きを書きたいと思える

#愛迷メニルト

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