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相似形という世界の前提

世の中というのは、
A=Bならば、
A'=B'になっています。

A=Bならば、
A+5=B+5だし、

A=Bならば、
10×A=10×Bということもいえます。

最近気づいたんですが、
いわゆる頭が良い人と、
いわゆる頭が悪い人(すみません)の違いというのは、
ひとえにその理解の有無にあるんじゃないかな。

ここでいう「理解」というのは、
その構造を理解しているのみならず、
そこに相似形が成立していることに気づく感性を含み、
さらにその相似形を前提に思考し判断するところまでを指すのですが、

いわゆる庶民大衆といわれる人たちによる集合意見を眺めていると、
その理解がない意見が蔓延していて、

なるほど、最近気になっていた、
「場当たり的な意見を言う人」
「一次思考だけでモノを考え判断する人」
てというのは、

そもそも、その思考の構造からして、
「前提条件を持たない」
「前提条件があることを知らない」
「前提条件が全てを決めることを知らない」
…という特質を持つことに気づき、

これは日本にとって、日本人にとって一大事だな、と思いました。

なぜ一大事だと思ったかといえば、
日本人が戦後、日本文化を排除し西洋文化を輸入した結果、
「根っこのない思考」(日本に西洋文化の根っこがありませんからね)が蔓延し、
その結果として、それなりの大学を出ている人でも思考の階層を持たない人たちが大量発生し、

思考の階層を持たないために、
=物事の相似形を理解しないために、

何事においても「自分のjust idea」で乗り切ろうとする、
何事においても「自分のjust idea」を過信して声高に主張する、
…という「頭の悪い=適切な判断力のない」人たちが跋扈するようになったのだということが分かったからです。

そういえば、先日、難関校や名門校にお子様が進学される親御さんは、算命学を学んでいなくてもその思考があるようだ、というようなことを書きましたが、
そういう親御さんは、そういう相似形を前提とする思考も当然にもっておられるように感じられます。

「当然に」と敢えて書いたのは、
それを知らない人からみれば「根拠のない考え」に見えて、それを知っている人からすれば「太陽が東からのぼり西に沈むのと同じくらいに確かなこと」であるためで、

結局のところ世の中というのは、
それを知らない大多数の一般大衆と、
それを知り活用する少数の知識層で構成されているのではないかな、と思いましたがどうでしょう。

算命学を学ぶと、

世の中が、
A=Bならば、
A'=B'になっていること、

A=Bならば、
A+5=B+5となり、

A=Bならば、
10×A=10×Bということもいえる、

それについて揺るぎない確信を得られると共にその理解を応用するための技術を学ぶことができます。

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