繰り返される今日のはじまりの中で感じる境界線

海外の仕事をやっているとオンラインでの海外との打ち合わせの頻度が高い。それらは大抵現地との時差を考慮して、定例的に現地の朝に設定することが多い。会議の多い日だと

 8:00 に北米との打合せで「Good Morning」と言い、(※)
10:00に日本内での打合せで「おはようございます」と言い、
13:00にインドとの打合せで「Good Morning」と言い、
17:00にヨーロッパとの打合せで「Good Morning」と言い、
21:00にブラジルとの打合せで「Good Morning」と言って、
一日が終わっていく。
(※向こうは朝じゃないけど、こっちに合わせてくれている)

時差やサマータイム、海外のマーケット時間などはこれまでトレードではずっと意識してきたけれど自分にとってすごくバーチャルな知識で、それに従ってリアルに仕事をしているってことをはじめて実感した。

向こうにとっては一日のはじまりとなる会議だけれど、こちらは一日のうちに何度も一日のはじまりを経験するのは、なんだか不思議な感じがする。こちらが業務を終了しても向こうは業務を続けていて、今日はいつまでも終わらない。はじまりを何度も繰り返しながら終わっていくこの一日は本当はいつはじまっていつ終わるんだろう。

これまで当たり前のように思ってきた境界線は、相手が変わると当たり前ではなくなってあいまいになっていく。
自分の常識は相手にとって常識ではない場合があるから、だからこそ相手の常識を知りたいと思う。
「英語がつたない人を馬鹿にするな。なぜならその人は英語以外の言語がしゃべれるのだから」みたいな格言があったと思う、その言葉はすごく好きだ(好きと言いながらうろ覚え)

境界線の向こうに伸ばした手が握り返されることを願って。


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