手に入らないぶどうはすっぱい

手に入らないぶどうはすっぱい。
そう思い込もうとしても、私は確かにそのぶどうが甘かったことを知っている。このぶどうは当時から時間がたって、もう酸化してすっぱくなっているんだろうけれど、私にはまだ甘かった頃の記憶が残っていて、目の前のすっぱいぶどうを認識することができない。それを本人からつきつけられた今でさえも。

人の記憶は徐々に薄れていくものだから、それに従って変化を受け入れることができる。でも忘れることが上手にできない私はそれができない。私がそのぶどうをあきらめるには甘かった頃の記憶を忘れることが必要なのだろうけど(少なくても思い出さないようにすること)、甘いぶどうを食べた記憶は幸せな記憶。それを失った空虚な状態では生きていくことができない。

Levis est fortuna: id cito reposcit quod dedit.
運命は軽薄である。与えたものをすぐに返すよう求めるから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?