株式会社らぶ茶 #2(仮)

お蕎麦が運ばれてきたものの、依然として会話の弾まない二人。軽く「いただきます」とだけ呟いて食べはじめる。
ズズズ…らぶぐみの蕎麦をすする音が沈黙の部屋にことさら大きく響いた。フーフーしながら上品に食べるらぶちゃを横目に、自分も音をたてまいと努めるが、不慣れな食べ方が彼の満腹感に一層拍車をかけた。
らぶちゃも会話することを諦めたのか、それとも単に二つのことが同時にできなきないのか、にしん蕎麦を食べることに集中しているようだった。
会計の段階になり、らぶぐみは自分が全て払いますと、やや強い勢いで申し出る。気の利いた会話で想い人を楽しませることができないのは想定内。せめて会計だけは自分が持つのだと、誘われた時からそう心に決めていた。それがせめてもの見栄だった。
だがそんな思いに対し「そんな悪いですよー、声を掛けたのは私ですしー」と、らぶちゃはあっさりとその申し出を跳ね除け、自分の会計を済ます。口を挟む余地は、どこにもない。

午後の仕事に戻る。斜向かいに座りいつも通りテキパキ仕事をこなすらぶちゃは、相変わらず輝いて見えた。だが、らぶぐみの頭は混乱していた。らぶちゃが誘ってくれた真意は何だったのか、ろくに会話もせずぎこちなく蕎麦をすすっていただけの自分はどう映ったのか、気掛かりでならなかった。またそれと同時に、二人きりの時間を過ごせた事実に対する喜びと、そんな千載一遇の機会さえ無駄にした自己嫌悪の気持ちが入り交じっていた。
「らぶぐみさーん?」ふいに、茶葉の産地別生産量調査のことで、らぶちゃに声をかけられた。考え事に没頭して目線をらぶちゃに向けたままにしていたため、直で目が合ってしまい返事をする声が上擦った。


就業時間が過ぎた。タイムスケジュール管理が得意ならぶちゃは、基本的に残業はしない。一方、らぶぐみは仕事中の大半、らぶちゃを眺めて過ごしているため、事実上今からが業務開始だ。
帰り際のらぶちゃに声をかけられる。「今日は美味しいお蕎麦屋さんに連れてってくれて、ありがとうございました。自分でもちょっと調べてみたんですけど、お蕎麦は信州が有名ですけど、新潟も美味しいらしいですよー」「そうなんですね」と照れ臭さを隠すように淡白な口調で返す。らぶちゃは気にする様子もなく、お先に失礼しますとだけ言って会社を後にした。

就業時間を過ぎたオフィスにはらぶぐみを含め2,3人しか残っておらず、ところどころ照明が落とされていた。
落ち着きを取り戻しつつあったらぶぐみは今日のらぶちゃとの一連のやり取りを思い返す。
これまでただ遠巻きに眺めているだけで癒されていたらぶちゃの存在。自己嫌悪する点は多々あるにせよ、やはり初めて関わり合いが持てたことに対す嬉しさが勝っていた。

それにしても「新潟も美味しいらしいですよ」か…。近場であればまだ意を決して自分から誘うことができようものの、旅行とも言えるような場所へ誘うことなど自分には到底無理に決まっている。なぜらぶちゃはそんな発言をしたのか。他意はないはずである。でもひょとしたら何か意図があるのか、考え出すと途端にまた胸の中が掻き乱された。ふといつもの癖で、斜向かいの席に目をやってみる。使用者不在のデスクは、薄暗かった。

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