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おいおいおい

最近老いを感じることが多くなってきた。年をあまり意識しないで生きてきた人生だったから、突然の症状に焦りのような恐怖感を感じている。

具体的に言うと、顔のシミが濃くなったとか、目尻にシワが出来たとか、目に見える身体的なものももちろんあるのだけれど、一番は精神的なもので、どんどん自分の中のこだわりや執着心が消え失せている現実が怖いのである。

最初に意識したのは、パクチーが好きになったことだ。
独特の香りが特徴的で、好き嫌いが大きく分かれる香菜、パクチー。
つい最近までわたしもあの独特の香りが「無理」で、添えられているだけでも耐えられなかったし、気づかず食べてしまったときは風味が消えるまで水を何度もがぶ飲みしたものだった。
それがいつの間にか食べれるようになり、むしろ「好き」な食べ物になってしまった。パクチー大盛りの方が嬉しい、みたいな始末。
大人になると味覚が変わる、と子供のころさんざん聞かされた退屈話だったけど、実際にわたしにも起こってしまった。
嫌いな食べ物が減ることは好ましいことだが、わたしは、身体が諦めたのだと思った。
子供のころならティッシュに吐き出せていたのに、大人になった今は水で流し込む選択肢しか選べなくなっている。そういう辛さを緩和するために諦めという麻痺を起こし、味覚や嗅覚や影響を与えたのだと。

なんでそんなひねくれた考え方をわざわざするんだ、と言う人もいるだろう。現にわたしも嫌いな食べ物が一つ減った、ラッキー!くらいに思えよ、とも思うのだが、そういう思考回路を抱えているし、その性分はもう分かりきっているので今更変えようとも思えない。

この辺りも「老い」だなぁと感じる。
怒りも悲しみも喜びも全てオンオフのスイッチが分かってしまっているからだ。(そう思ってしまっている。)
喜怒哀楽どんな感情のときも自分を俯瞰する自分がいて、その後の感情の変化を考えてしまうし、結局その通りになる。


気色の悪い話をすると、わたしは10代のころから40くらいの「おじさん」が好きなのだが(10代のときに付き合ったことはない)、その理由のひとつに、どこか諦めを帯びているから、というのがあった。
青春時代に挫折を経験し、恋愛や仕事で水も甘いも知ったからだろうと昔は解釈していたのだが、ただ単純に同じ人間が同じように生活を続けているのだから、基本的には繰り返しの日々で、感情にも慣れてしまうのだと分かってしまった。

わたしの好きなおじさんにわたしがなっていっている。
わたしのワガママも、くだらない悩みにも「まぁ、いいんじゃない?」と流してくれる理想のおじさん、わたしのワガママやくだらない悩みは「まぁ、いいんじゃない?」でわたしの中で消化されていく。
「嫌い」も「好き」も保つことが必要になるとは思っていなかった。

今わたしが持っている「好き」もいつかはどうでもよくなるのだろうか、恐ろしい。
だが、その恐ろしさもいつかどうでもよくなるのだろう。嗚呼……。

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