玉川奈々福独演会
令和6年6月29日観世能楽堂で開催された『浪花節で三十年 記念の会』行ってきました。遅い投稿ですが。
奈々福さんについての感想は最早不要の浪曲界の重鎮というか活動家です。
今回は演目に『風説天保水滸伝 飯岡助五郎の義侠』がありました。玉川一門の持ちネタ「天保水滸伝」の序章とも言うべき作品で、奈々福さん曰く、天保水滸伝で悪人として語られている飯岡助五郎について、良い面もあったことや水滸伝のきっかけになったことなど、助五郎の側からの話として序章となる(まさにエピソード0)作品ということでした。
私はこの独演会前に飯岡助五郎の縁の地を歩いてこようと決めまして、ギリギリですが6月22日に東庄、旭市と行ってまいりました。
ネットで色々とアップされているので、ぐるっと廻るのは難しくはありませんでした。
天保水滸伝遺品館では「遺品館観るの?」と観光協会のおじさん。中に入ってパンフレット類をいただくと、「詳しい話聞く?」と言ったと同じタイミングで解説おじさんが入館されました。丁寧な説明を聞ききながら、奈々福さんの写真も見つつ、「来週、東京の独演会行くんですよ。」って話したところ、「光市のバス?」なんて聞かれまして「一人です」と答えると、どうやら地元で奈々福さんの後援会を立ち上げバスで観に行くとのこと。あいにく私とは開催日違いでしたが、親近感が沸いてしまいました。笹川繁蔵はハメられたかわいそうな人としてこうして記念館で案内されていますが、対して悪役飯岡助五郎の地元現在の旭市では天保水滸伝の歴史館が廃館になるなど、なんとなくさみしい状況です。飯岡助五郎は、飯岡玉崎明神祭礼の奉納相撲で暴れたやくざ者を叩きのめして追い出したり、台風で漁港の男たちが亡くなり町の存亡の危機に出身地から男手を送り込んだりと良いこともやっていたわけです。今回独演会で語られるのは、笹川繁蔵との抗争前のエピソードをまとめ上げたものです。事前学習をしながらの現地訪問で気分が十分に盛上がってきました。一日かけ足ルート*東庄ルート ①諏訪神社 ②天保水滸伝遺品館 ③延命寺(笹川繁蔵、平手造酒、勢力富五郎の墓、碑)③十一屋跡 *旭市ルート ①玉崎神社 ②光台寺(飯岡助五郎の墓) ③定慶寺(笹川繁蔵の首塚)④飯岡刑部岬展望台、飯岡漁港
さて、当日の銀座sixの観世能楽堂は初めて行きましたが素晴らしい会場でした。座席も最高。満員の会場。
東家千春さんの草加のおせんさんは楽しいお話。千春さんは声が通って話が軽快。私は一人でしたが、両隣もお一人さま鑑賞。クスクス笑いでは我慢できず、しっかり笑っておりました。ディープな活動に深入りしたくなりました。いよいよ、待ってましたの奈々福師匠。予習ばっちりの「飯岡助五郎の義侠」です。いつものように、大きな所作と張りのある節回し。最高です。タブレット純さんの浪曲新鮮でした。虎造節で聞いていたもので始めピンと来ませんでしたがだんだん乗ってきて、途中奈々福さんの囁きフォロー(吉兆女将さんと違ってはっきり声で手助け)もありつつ引き込まれました。ラジオで聞いているのとはまた違った純さんを見た感じでした。立派な会場でお客さん呼び込める奈々福さんは人気ありますよね。どうしても浪曲は少人数といった感があり(お客としては近さが最高ですが)、大ホールを埋め尽くすようなイベント開催できるようになるといいなと思いました。浪曲について書ききれませんが締めたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?