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最近強く意識した2つの特性についての記録


困ったもんだと思っていた心の弱さや動作のスローさが、HSP由来(の可能性)であることがわかって以来、これらを「自分の特性」という視点で観察できるようになりました。その観察記録です。最近強く意識したのは以下の2つ。

◎真摯に話を聞きたいと思えば思うほど質問が増える

会話や講義などで人の話を聞いているときに、いちいち引っかかってしまいます。他人が使う言葉の、定義や前提、意味、とらえ方などがわからないからです。正確さを追求してもわたしはその人ではないのであくまでその周辺をウロウロとするしかありませんが、それでもできるだけ相手の意図している定義や意味に近づきたい、わかりたいという欲求がある。たとえば相手が「友だち」というワードを出してきたとすると、「その“友だち”というのはどの程度の深さなのか?」とたずねてしまうのです。わたしなら「友だち」は「何時間でも深く心の話ができる人」という意味だけれど、相手も「友だち」に同じ意味を持っているとは限りません。同じ言葉を使っていてもその言葉に持たせている意味や内容はお互いに違うから、そこを共通の認識にしておかないと相手の意図とは違うものを受け取ってしまうことになる、それがイヤ。家族内ならなおさらそうで、オット氏にも息子ズにもいちいち言葉やニュアンスの意味を会話中には何度もたずねます。(もちろん大人なので、臨機応変に話を合わせることもできます)。われながらその引っかかりを放置できないことに面倒くささを感じるときもあるし、質問にいい顔をしない人もいますが、聞きたいんだからそれは自分で認める(あきらめる)しかしょうがない。


◎「やってほしいこと」より「やらないでほしいこと」

考えると、「これをやってほしい」より「これをやらないでほしい」ということのほうが多いかもしれません。何年か前に「わたしがそこにいる、ということがわたしの愛情表現だ」という言葉に出会い、まさにその通りだと思いました。わたしにとっては、自身がそこにいるというだけで愛情表現なのです。愛情がなければそこにいないし、そこに近づかない。積極的に「なにかをする」たとえばプレゼントをするとか何かしらの愛の言葉と言われるものをかけるとかベタベタとスキンシップをするとかまめにケアをするとか、世間で言われるわかりやすい愛情表現は自分はほとんどせず、逆に言うとしてほしいとも思いません。なのでそういう意味で何かを「やってほしい」とは思わないのです。「やってほしい」の文脈で言うなら「ほうっておいてほしい」「離れて見守ってほしい」。プレゼントとかはいらないからお願い、くしゃみはうるさくしないで、せかさないで、ひっつかないで、という感じです。


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