I realized my sister was vegetarian

最近妹の意識が高い。
ベジタリアンについて主体的に学び肉を一切食べずに生活している。
意識の割合について聞いてみると、動物に対する慈悲の心が5割、環境問題への危惧が3割、それをしている自分に対する誇りが2割だそうだ。

半年ぐらい前から肉を食べないと言っていたのを聞いていたが、正直その時は一過性の物だと思っていた。
しかし未だに続けている所を見ると彼女の動物への慈悲の思いは偽物では無い様だ。

正直な感想として兄である僕は死ぬ程嬉しい。
妹が利他の心で一つの社会問題に真剣に向き合っているのだから。

工場式農場と呼ばれる仕組みで処理される動物の扱いは非常に残酷だ、狭い場所に一生閉じ込められ、唯一歩けるのは食肉処理場へと向かう時だけ、、といった倫理的には完全にアウトな現実がある。

今アメリカではベジタリアンの勢いが凄い、急速に数を伸ばしてきている。
その背景には様々な要因があるが、一つには「工場式農場」の異常性に気が付き、真摯に向き合っている人が増えた事も大きい。

マクドナルドを始め、様々な所で安い肉が食べれるのは何故か?
動物を物の様に扱い効率的に殺しているからだ。

家畜と関わってきた人類の歴史を紐解くともう吐き気がする。
あえて此処では述べないが、興味があれば調べてもらいたい。

僕自身も小学生の時に感受性の高さからか肉が食べれなくなった事があった、自分って変わってるな、、と思って居たが今思えばあの時の自分が正常な気もする。

今も肉を食べる時ふと我に変えり肉を食べる事に抵抗を覚えてしまう時もあるが、自分を責めて辛くなってしまうのであまり深く考えない様にしている。

命を大切にする事を突き詰めていけばキリが無いのは事実だ。
「蚊は?」「野菜もだよね?」と終わりが見えない、結局人間含めて生き物は他の命を貰って生きてる事は間違いない。

だからこそ「感謝を忘れずに」、母親から再三言われてきた事を確実に実行していく。
今は僕自身ベジタリアンになるつもりは無いが肉を食べる事を減らそうかな?ぐらいには考えている。

最終的に人類は、他の命を取らなくても生きていける生命体になっていくんだろうな、、というザックリした未来がうっすら見えてきている。

ベジタリアンが正しいとまでは思わないが、感情を持った人間である以上食べ物に対し感謝の気持ちを忘れる事は許されないと思う。
そんな当たり前な感情すら失っては人に対して優しく出来るとも思えない。

これから先、妹は止むを得ず肉を食べる様になるかもしれないが、試行錯誤しながら人のあるべき姿を模索している妹を誇りに思う。

妹曰く、父親と僕から物凄い影響を受けた様だ。
この2人無くして今の自分は無いとも言っていた、またひとつ1人の人間の意識を変えれた事はモチベーションに繋がる。

社会問題を見て見ぬふりをしている馬鹿達に妹の爪の垢でも煎じて飲ませてあげたい、、、と思った話でした( ^ω^ )

木下兄弟の闘いは続く、、、、、。

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