「相手が不快に思ったら〇〇」という主張の愚かさ
友人から「noteを定期的に更新すれば将来の書籍化につながる」と促されたので、素直に従って毎週金曜日に更新するように努める事にしました。
モチベーションに繋がるので定期的に目を通して頂きたく思います。
さて、今日はよく巷で聞く「相手が不快に思ったら〇〇」という主張について
〇〇にはパワハラであったりセクハラであったりいじめという言葉が入ったりすると思います。
この主張ってあまり深く考えられずに正論かのように罷り通ってると思いませんか?
でも僕はこの主張は完全に論外だと思ってます。
相手が不快に思ったら本人がセクハラをする気が無くてもセクハラ認定されるなんてこんな理不尽な事あっても良いんですかね?
少し飛躍するかも知れませんが極端な話相手が「ありがとう」という感謝の意を伝えた場合でも伝えられた本人の気分次第ではパワハラやセクハラと言われてもおかしくない主張ですよね。
日本の司法ではこのような主張は認められていない事を祈りますが、こんなくだらない主張が正論とされてる現状に一抹の不安を抱いてる僕です。
実はこの論法「浅田理論」と言われていて、部落解放同盟指導者の浅田善之助氏が提唱したものです。
「差別と感じればそれは差別」という主張を旗印に行政を脅し様々な利権を獲得してきて非常に危険な論法として知られていて日本共産党等から誤りを指摘されてきた歴史があります。
今でもこのように「不快」を理由に人を非難する人が居ますが、言論の自由を阻害するような流れに居心地の悪さを感じている人は多いのでは無いでしょうか。
差別やセクハラなどの罪を決定する尺度が「相手の気分」なんて異常極まりない事は糾弾しなければならないと僕は考えます。
言論の自由や内心の自由を守れ!
こんな感じでジャンルは問わず毎週金曜日に更新していこうと思います。
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