北海道「夕張市」から学んだ事

今僕は北海道に住んでいる(来月沖縄移住予定)
その北海道にある「夕張市」という自治体の名前を聞いた事があるだろうか?
恐らくほとんどの人が聞いた事はあると思う、全国的に有名なブランド「夕張メロン」で一躍脚光を浴びて今尚愛されている。

しかし夕張メロンの印象を打ち壊す程のインパクトがある「財政破綻」というワードは記憶にあるのでは無いだろうか?
僕は昔から夕張市に何故か惹かれる、何故だろう?

人間が血の涙を流しながら築き上げた街である事や人間の弱さにより多額の借金を抱え衰退の一途を辿っている点が人の本質を濃縮してある様な街だからかも知れない。

夕張は炭鉱で一時期隆盛を極めてピーク時(1960年)には人口が約12万人居た。
それが今は8000人ちょっとしか居ない。

夕張市が存在する地域では相当な数の炭鉱事故があり僕が調べただけでも1000名以上の方々が亡くなっていた。
(第二次世界大戦以前の事故の記録は風化したり紛失してる事が多く定かでは無いがかなりの人間が炭鉱事故により亡くなっているのは確かだ)

炭鉱事故を多発させながらも着実に夕張は栄えていった、しかし1962年「エネルギー革命」の到来である。
国がエネルギーの主力を石炭から石油に移し替えたのだ。

そこから夕張の衰退は始まった、次々に鉱山が閉山し炭鉱企業も撤退していった。
人口は軒並み減り、何とかその流れをストップさせるべく夕張市が打ち出したのが「観光業」である。
「石炭村」「遊園地」「スキー場」と次々に手を打っていったが全てコケた。
残ったのは多額の借金のみ、しかし夕張市はこれを公にする事は無かった。

道は格自治体の事は自治体に任せるという方針であり、借金の存在は知っていたかどうかは定かではないないがあまり積極的には関与しなかった様だ。

そして2006年ついにメディアによって多額の借金がある事をバラされる、その額何と323億円。
完全に夕張は財政破綻した。
そして翌年には「財政再建団体」に指定された。

全国に夕張の存在が悪い意味で広がっていった。
何故こんな結果になってしまったのか?
早い段階で借金の存在を公表していればまだ何か手は打てていたと思う、でも人間の弱さがここで垣間見える、隠してしまった。

どれだけ隠していた事で関係者が心理的なストレスを抱えていたかを想像すると胸が痛くなる。

夕張市はそこから一念発起し18年で借金を返済する計画を打ち出した。
年間の税収が10億にも満たない小さな自治体に海外メディアは「ミッションインポッシブル(不可能)」だと言い捨てた。
しかし緊縮財政を行い、260人居た市の職員を100人以下にし、光熱費代や住民税の増加、公的機関の利用料の増加や保育料までに手を出して市民に痛みを負って貰った(現在進行形)

予想以上に若い世代が夕張市を後にし人口の減少は著しかった。
しかし順調に借金は減り僕がHPで確認した時点で借金は残り150億円であった。
2027年には完全に返済できる予定だ。

様々な支援があっての事だが確実に再生している。
どれだけ落ちぶれても再生出来る、僕はそこに「人間の本質」を見た気がした。

一度は完全に終わった自治体だと思われてたが確実に前を向いている姿は我々個人も見習う所はあるのでは無いだろうか?

そして今も尚、夕張市民は「最悪のサービス」を受け、「最高の支出」を払っている。
無関心では無く日本国民の一人として気にかけてほしい。

繰り返すが僕は夕張から「人間の本質」を見た。
人間は弱い、何か不手際があった時にそれを隠そうとする弱さがある。
でも最悪の状態に陥っても立ち直る強さもある。

アリの歩みでも良い、視線だけは理想に向けていよう。
人間は視線の方向に歩いていく、どれだけ身体があさっての方向を向いていても必ず視線の方向に歩いていく。

沖縄に引っ越す前に夕張に行ってこようと思います。
夕張待ってろよ。



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